11年目を迎えた交流戦もパ・リーグがセ・リーグに勝ち越した。6年連続10回目だ。
今年は従来のレギュレーションに戻り、セ・リーグの各チームがホームの試合ではDHなし、パがホームの試合ではDHあり、となった。パ・リーグ投手陣は普段、打席に立つことがないだけに、交流戦では打つことができて、嬉しい投手もいるという。また、セのホームで大谷翔平(日本ハム)が先発する場合、大谷の打順は何番なのか? それを考えるだけでも、楽しくなってしまう。
球場に行くファンにとって、投手が打撃で活躍するのは心躍るもの。ヒット1本ですらレアなものを見た気分になり、タイムリーが出ようものなら外野席は異様な盛り上がりを見せる。
しかし、近年、そんなレアな盛り上がりを支える「打てる投手」が減ってきている。セ・リーグも打てる投手が増えれば、交流戦を有利に運ぶことができるのではないか?
そんなわけで今回、歴代球界の打てる投手を紹介したい。歴史を紐解くとまさに「9人目の野手」のみならず、二刀流もできたのでは? という選手もいたのだった。
前巨人監督で現在は参議院議員を務める堀内恒夫は通算203勝の投手成績のみならず、相手投手を震撼させる打撃力の持ち主だった。
実働18年でなんと21本塁打。この数字の他には、南海と戦った1973年の日本シリーズ第3戦では先発完投勝利&2打席連続本塁打をかっ飛ばした。第2戦で決勝タイムリーを放ち、胴上げ投手にもなり、日本シリーズMVPも獲得し、巨人のV9に大きく貢献した。
そして、圧巻だったのは、1967年10月10日の広島戦。投手史上唯一となる3打席連続本塁打を放った堀内。8回裏の打席では4打席連続本塁打を狙ったが、センター前ヒットに終わり、ガッカリしてベンチに戻った。そこでベンチの選手から「ノーヒットノーランまであと3人だぞ」と教えられ、自身もビックリ。そのまま後続を抑え、ノーヒットノーランと3打席連続本塁打という偉業を同じ試合で成し遂げた。
1983年の引退試合では8回表にリリーフ登板。裏の攻撃では打席に立ち、現役最終打席を本塁打で飾る野手顔負けの引退試合となった。
また、引退試合といえば、堀内は悪魔の所業も成し遂げている。1980年、世界の本塁打王・王貞治が引退セレモニーを行ったファン感謝祭の紅白戦で、この日の主役の王を三振に切って取り、さらには投手として登板した王からレフトに会心の一発。
夜遊び好きで巨人の「三大悪」ともいわれた「悪太郎」は大笑いで何度もガッツポーズをしながらダイヤモンドを回り、王を苦笑いさせた。
二刀流の大谷を除いた現役投手でトップとなる8本塁打を放っているのが川上憲伸だ。
ナゴヤドームで投手として初めての本塁打を放っており、その打撃は当たれば飛ぶ、という大振りではなく、技術に基づいたスイングだ。
2004年には外角のストレートをライトスタンドに運んだ。野手でもなかなかできない見事な流し打ちからは天性のスラッガーセンスが垣間見える。
年齢的にもうありえないが、もし川上が二刀流だったら……と妄想を膨らませるには十分すぎるバッティングセンスの持ち主だ。
外国人の打てる投手で印象的なのは、2002年〜2004年に阪神、オリックスで活躍したトレイ・ムーアだ。構えこそ、野手らしくなかったが不思議と打ちまくった。
優勝した2003年には打率.326を残し、同年のオールスターゲームでは二刀流を期待したファンの投票で一塁手部門3位にランクイン。阪神時代、オリックス時代を通じて、「代打での出場も?」とはやし立てられた。野手陣への配慮で実現しなかったものの、仰木彬氏などファンサービスが厚い監督の下でプレーしていたならば、「一塁手・ムーア」も誕生していたかもしれない。
また、ムーアは走塁もアグレッシブで、出塁後にウインドブレーカーを着用しながらのヘッドスライディングも魅力だった。ケガの危険性の観点から首脳陣によく怒られたそうだが、そのハッスルプレーは虎党だけではなく、他球団のファンからも愛された。
当時、関西圏で発売されていた交通カード「スルッとKANSAI」では、投げる姿と打つ姿の両方が一枚に描かれたムーア。そこまで打撃も期待された異色の投手だった。
「打てる投手」で忘れてはならないのが桑田真澄だ。超高校級スラッガーの清原和博(元西武ほか)の影に隠れてしまったが、PL学園時代、甲子園でも通算6本塁打を記録。春夏合わせた甲子園通算本塁打数では、清原の13本に次ぐ、歴代2位タイとなっている。
投手として本格化したプロ2年目には、自身初の2ケタ勝利を完封&3ラン本塁打のオマケ付きで飾っている。
投手が本業なので、「捨て」の打席がありながらも、通算打率.216、7本塁打、79打点。174センチとプロ野球選手としては少し小柄だったこともあり、プロ入り当時は野手転向を薦める声も。「もし二刀流だったら」の代表的な存在といえる。
知る人ぞ知る、もっと打席に立ってほしかった投手は、目下、セーブ数日本記録を更新中の岩瀬仁紀だろう。大学時代は愛知大学リーグで外野手として鳴らし、通算124安打(リーグ歴代2位)、打率.323、9本塁打、64打点を記録。外野手として大学日本代表候補にも選ばれた打者だった。
リリーフという定位置もあり、打席に立つことは少ないが、外角低めのストレートを叩いて楽々センター奥に犠牲フライを放つなど、夢を感じさせるシーンも多い。願わくば1日複数打席立つところを見てみたい「打てる投手」だ。
(文=落合初春)