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「高校野球100年」清宮幸太郎が注目される今だから知っておきたい、初代「和製ベーブ」山下実の伝説

 「高校野球100年」で沸く今年の甲子園。その注目選手として脚光を浴びているのが「和製ベーブ・ルース」の異名を持つ早稲田実業(西東京)の1年生、清宮幸太郎だ。初めての大舞台でも1回戦からタイムリーを放つなど、期待通りの活躍を見せている。


 今大会では他にも、九州学院(熊本)の1年生主砲・村上宗隆が「肥後のベーブ・ルース」と呼ばれるなど、球界では昔から左打者の大砲が登場すると「和製ベーブ」の名を冠する傾向がある。では、史上初めて「和製ベーブ・ルース」と呼ばれた男は誰だろうか?

甲子園球場第1号本塁打を放った男


 高校野球100年の歴史において、初めて「和製ベーブ」と呼ばれたのは第一神港商(現神戸市立神港高)の主砲として活躍した山下実だ。

 山下実が和製ベーブ・ルースと呼ばれた最大の理由は、甲子園球場で最初に活躍した打者である、という点だ。甲子園球場が開場した1924年に開催された第10回大会。第一神港商の山下は右中間フェンスにワンバウンドでぶつかる大飛球を放ち、記念すべき甲子園球場第1号本塁打を記録した。ちなみに、このときの対戦相手が早稲田実業。「和製ベーブ」を巡る物語としてはなんとも因縁めいている。

プロ野球オーバーフェンス第1号もこの男


 翌春、甲子園で初開催となった第2回のセンバツにも出場した山下は、またしても右中間フェンスにワンバウンドでぶつけるセンバツ甲子園第1号本塁打を記録。大会通算2本塁打、5打点、打率6割で、この大会から制定された個人賞の打撃三賞を独占した。

 ちなみに、かのベーブ・ルースが日米野球で来日した1934年、「この球場はデカすぎる!(Too large)」と語ったのは有名な話。完成当初の甲子園は外野でラグビーができるようにと外野フェンスが右中間から左中間まで直線になっていて、両翼110メートル、中堅120メートルで左右中間が128メートルもある、まさに「Too large」な球場だった。ボールも粗悪で飛びにくかった時代で、そんな巨大球場の外野フェンスにワンバウンドで到達する山下の打球は、現代であれば間違いなくスタンドインしただろう、という飛距離だった。

 山下は第一神港商卒業後、慶應義塾大や戦前のプロ野球でも活躍。1936年には日本プロ野球史上初のオーバーフェンスでの本塁打を記録するなど、選手生活を通じて「和製ベーブ」の名に恥じない活躍を残している。


 「高校野球100年」の記念すべき年だからこそ、山下のような先人たちの偉業にも改めて光をあてたい。清宮幸太郎、そして村上宗隆という新時代の「和製ベーブ」は、先人が残した偉業にどれだけ並び、追い抜くことができるだろうか。

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