日本ハムに歴史的な大逆転をカマされてパ・リーグ2位となった今季のソフトバンク。来季へ向けて、選手の補強とともに、コーチ陣の刷新も当然遂行される。
その一環として、達川光男氏を工藤公康監督体制では初となるヘッドコーチに招聘。就任発表記者会見が10月31日、秋季キャンプの拠点・宮崎市の生目の杜運動公園にて行われた。
ヘッドコーチは、指揮官である監督の参謀役。それだけに、工藤監督との接点、相性がまずは気になるところだが、2人の初対面は、広島対西武で行われた1986年の日本シリーズだという。
「おい工藤、なめんなよ!」
デッドボールを食らった広島の達川氏が、こう発したのが第一声だった。
この年の日本シリーズは、初戦が引き分け、第2戦から第4戦は広島が3連勝。広島が王手をかけて第5戦を迎えた。勝てば広島の優勝が決まるこの試合で、1対1で同点の延長10回からマウンドに上がっていた現役時代の工藤投手が、延長12回裏に打席に立ち、ライト線にサヨナラヒットを放った。
ここから西武は怒涛の4連勝で頂点に立つという印象的なシリーズだった。なお、シリーズMVPには工藤投手、敢闘賞には達川捕手が選ばれている。
その後、1994年シーズン後に、工藤投手はFAで福岡ダイエーホークスに移籍。達川氏も、同じタイミングでバッテリーコーチとしてダイエーに加入。そこで、あのときの日本シリーズの思い出話から始まり、言葉を交わすたびに野球観の近さを感じたという。
しかし、達川氏のダイエーでのコーチ期間は1年で終了。会見でも久しぶりにホークスのユニフォームに袖を通すことについて聞かれ、その心境をこう語った。
「1995年、王監督時代にバッテリーコーチをやらせてもらいましたが、なんの役にも立たず1年で辞めたんです。そのことがずっと心につかえていました。今回、工藤監督に誘っていただき、しかも球団には王会長がいらっしゃる。これで、人生終わっても悔いなし。いや、野球人生ね、まだ死にたくないんで(笑)。まあ、それぐらいいいチャンスもらったなと」
そして、監督とコーチをいう関係になった以上は、「工藤監督に、終生忠誠を尽くしますよ」とも口にした。
ちなみに達川氏は、これまでに1軍の監督、コーチとして、3チームにトータル6年間在籍しているが、そのときのチーム順位は以下の通り。前年の順位とともに見ていただきたい。
【1995年】
5位(前年4位)
ダイエー・バッテリーコーチ
【1999年】
5位(前年5位)
広島・監督
【2000年】
5位(前年5位)
広島・監督
【2003年】
1位(前年4位)
阪神・バッテリーコーチ
【2014年】
4位(前年4位)
中日・バッテリーコーチ
【2015年】
5位(前年4位)
中日・チーフバッテリーコーチ
6年間で優勝1回、4位1回、5位4回。前年より成績アップが1回、同順位が3回、ダウンが2回となっている。前年がすべてBクラスだったことは考慮すれば、まずまずの成績と言っていいかもしれない。
さらに、達川氏が去ったあと、そのチームはどうなったか。「在籍最終年→翌年の順位」をチェックしてみると、ダイエーは5位→6位、広島は5位→4位、阪神は1位→4位、中日は5位→6位。達川氏がいなくなってから、順位を下げたことのほうが多かった。
もちろん、野球はコーチや監督だけで順位が決まるわけではない。ただ、過去の達川氏の指導者としての成績は、決して悪くないように思える。
「私がこなくても、ホークスは来年V奪回できます。それは間違いない。私がきて負けたということは、私が足を引っ張ったということ」
独特の表現でこのように来季への決意を示した達川氏。
現役時代、捕手として3回のゴールデングラブ賞を受賞している新ヘッドコーチが、いかに工藤監督、そしてチームを「リード」していくのか。注目だ。
文=藤山剣(ふじやま・けん)