■江本孟紀
東映(現日本ハム)から移籍してきた1972年、野村監督はプロ未勝利だった江本孟紀に期待を込めて背番号16を与えた。発奮した江本は同年に背番号と同じ16勝を挙げた。
■山内新一
巨人から移籍してきた1973年、野村監督の助言によりスピードよりコントロールを重視した技巧派に転向。いきなり20勝を挙げてリーグ優勝に貢献した。
■江夏豊
阪神から移籍2年目の1977年、野村監督の「野球界に革命を起こそう」という口説き文句で、当時は地位が低かったリリーフ投手へと転向。現在の投手分業制の礎を築いた。
■飯田哲也
元々は捕手での入団だったが、野村監督の指示で外野手へ転向。1991年から7年連続してゴールデン・グラブ賞を受賞した。
■田畑一也
1996年にダイエー(現ソフトバンク)から移籍。ダイエー時代は2勝しかしていなかったが、2年連続で2ケタ勝利をマーク。人呼んで「野村再生工場の最高傑作」。
■小早川毅彦
広島から戦力外通告を受けてヤクルトに移籍した1997年、開幕戦で巨人のエース・斎藤雅樹から3打席連続本塁打を放ち、リーグ優勝への勢いをつけた。
■遠山奬志
ロッテから阪神に復帰2年目の1999年、野村監督の助言でシュートを取り入れて中継ぎで活躍。カモにしていた松井秀喜(当時巨人)に「顔も見たくない」と言わしめた。
■伊藤敦規
横浜から戦力外通告を受け、阪神に移籍。野村監督時代の2000年、37歳にしてリーグ最多の71試合登板を果たす。
■鉄平
中日から移籍してきた2006年、1年目から打率.303をマーク。2009年には首位打者を獲得し、球団史上初のCS進出に貢献した。
■山崎武司
オリックスから移籍3年目の2007年、野村監督のもとで培った「配球の読み」が花開き、本塁打王と打点王の二冠に輝く。その後も楽天の主将としてチームを牽引した。
文=サトウタカシ (さとう・たかし)