プロ野球選手になれなくてもプロ野球に関わりたい。そんな思いを叶える仕事は、見回してみると実はたくさんある。週刊野球太郎ではそんな「プロ野球に関わるお仕事」に携わる人たちを直撃。第2回となる今回(前編・後編)は報道現場の最前線に立つ新聞社のカメラマン、いわば「写真記者」のAさんとBさんが登場。20代後半の2人は大学時代の先輩・後輩で、ともに写真記者の道を歩んでいる。
この前編では学生時代からスポーツ文化に興味を持っていた2人に写真記者になった経緯、写真記者のあり方、事件や政治にまつわる写真とスタジアムで撮る野球写真の違い、頭を使って撮る野球写真の特徴などを聞く。
2人は「スポーツ文化を変革させたい」という志で発足したサークルに所属。サークル活動を通じて、メルマガを発行したり、地域スポーツの撮影などを行っていた。まず、2人が写真記者になった経緯と、「なってみてから思ったこと」を聞いてみた。
Aさん新卒で新聞社に入社。写真記者志望として試験に望み合格した。ちなみに新聞社、通信社全般では、日本大学芸術学部写真学科など芸術系の大学から入社した人と、Aさんのようにカメラを専門としない畑から入社し撮影技術を学ぶ人の2パターンだという。
Bさんはもともと文章を書くことが好きで学生時代は記者志望。転機は海外留学先で目にした東日本大震災のニュースだった。被害の惨状と懸命な救助活動を写した写真と映像を見て「言葉が通じなくても起こっていることを伝えられるビジュアルの力」を実感。「日本のニュースを海外に伝えたい」と考えていたBさんは帰国後、報道写真の道を選び、カメラマンとなった。
では、2人が新聞社のカメラマンとして報道写真を撮るようになってみて感じたことは何だろう。
Bさん 今と比べてカメラという機械自体が珍しく、写真を見る機会すら少なかった時代では、写真そのものが珍しく、貴重なものでした。なかでも、カメラを手に何かが起こっている現場に自ら足を運んで写した報道写真は、とりわけ貴重なものだったのだと思います。
そういった1900年代前半の時代状況からは、スペイン内戦の渦中に命をかけて踏み込み、『崩れ落ちる兵士』という「今、世界で起こっていることを写真の力で伝える」決定的な1枚を写したでロバート・キャパ(※)のように、その後の報道界や写真家に影響を与える人物が現れた。そしてカメラが普及するにつれ、報道写真はニュースに欠かせないものとなった。
Bさん 一方、現代では、誰でもデジカメやスマートフォンで写真を撮ることができます。撮影もボタンひとつで簡単にできるし、現像の必要もありません。その結果、日常に写真があふれ、写真そのものの貴重さが相対的に下がった時代になっていると感じました。
個人が好きに書き、発信できるブログが登場した時は「1億総メディア化の時代」の到来と言われた。スマホでの撮影が浸透し、SNSへ気軽に写真をアップできる今はさしずめ「1億総カメラマンの時代」なのかもしれない。そうなると報道に携わるプロフェッショナルなカメラマンが撮る写真には、よりアマチュアとの違いが求められる。
Bさん その違いは「狙いがある写真」ですね。それはとらえる瞬間だったり、気の利かせ方だったり。そのためにはプロとしての工夫が必要です。あと、記者と同じで被写体をいかに深く理解しているかが大事。たとえば野球なら、現場を重ねて選手のクセや個性を理解してくことで、より強く選手のキャラクターを伝える面白い写真を撮れますし、撮った写真のなかからチョイスすることもできます。
Aさん あと僕たちは報道機関として普通の人が踏み入れられない場所にいけるチャンスが多いので、そのアドバンテージを生かして、誰が見ても記憶に残る写真を、どんな現場でも撮らないといけない気持ちが強いです。野球だと、カメラを抱えたお客さんのいるスタンドよりも一歩前のポジションにいるので、スタンドからは見えないシーンを写さないといけない。だから選手の特徴を理解し、試合の展開を予測したうえで、撮りたい瞬間を収められるように、考えて、準備をしています。また、スポーツはドラマ的な背景も大きな要素。それも踏まえたものでなければいけません。
Bさん とはいえ、何千枚も撮影するなかでたまたま写っていた、「これは!」という写真もあります。そんな1枚を見落とさないように選ぶことも大事ですね。
個人が気軽に撮影を楽しめる時代が訪れたのはいいことだと思う。ただ、そこには自己表現はあったにせよ、あくまで私的なスナップ写真だったり、何かに遭遇した際の野次馬的な写真であることがほとんどだ。
一方、報道写真はそうではない。ただならぬことが起こった(起こりそうな)現場を写し、そしてスポーツ選手、政治家、財界人、容疑者といった、その場に立つ被写体となる人物の人間性、心理状態をとらえ、決定的な一瞬として切り取るものだ。事がここに至った背景も伝わるように。
写真記者としての思いは込めながらも、あくまで「私」であることよりも、「公」であることが優先される。ビジュアルの力を持って、ヒトとコトを伝えなければならないのだ。
2人は被写体の個性を理解することの大事さを知ったきっかけとして、学生時代、サークル活動の一環で雑誌『Number』の編集長に取材した際のエピソードを披露してくれた。
そのときの話題は「長嶋茂雄(元巨人)さんらしい写真は何だろう?」。『Number』の編集部が長嶋茂雄特集号(第10号、1982年8月20日刊)の表紙に選んだ写真は、力一杯に全身をねじり、鬼気迫る表情でヘルメットを飛ばしながら空振りする長嶋の姿。殊勲の一打を放ったシーンではなかった。Bさんは「長嶋さんのキャラクターを理解しているからこそ、そういう写真をチョイスできるんです」と振り返った。
続いて写真記者の日常と野球の現場での話を。記者は政治、経済、スポーツなど担当が分かれているが、2人が務める新聞社の写真記者は担当がない。野球の撮影ならではの難しさや特徴を尋ねると、「横並びのポジショニング」「展開を一瞬のうちに考えながら準備する」「やることが多い」と返ってきた。ポジショニングから聞いてみよう。
Bさん 野球以外は「どこからどう撮るか」を工夫できますが、野球は撮影場所が決まっていて構図の選択肢がほとんどありません。だから選手が目の前で見せるプレーやガッツポーズを逃がさないように撮ることが大事です。
Aさん その通りで、野球はカメラマン全員が横並びで撮るので、あまりほかとの差がつかないんです。そこが難しいポイントです。でも、チャンスは平等にあるので、タイミングを見逃さない瞬発力が大事になってきますね。
そのためにアウトカウント、ボールカウント、投手、野手、打球が飛びそうな方向にいる選手を踏まえた展開を読んだ上での「準備」が必要だと言う。
Aさん たとえば2アウト満塁なら打者を追うのか、投手を追うのか。また1回表ノーアウト走者なしという100パーセント、バッターを追う展開なら、どう撮ってほかとの差をつけるのか。どんな写真を撮りたいかを想定して、準備しておくわけです。
投手や打者の表情やフォームやポーズ、打球の飛ぶ方向、守る野手の動き、打者走者や塁上にいた走者の動き、それら一連の流れを事前に想定していくつかの動きを収める……のだが、しかも投手の投げる球も打球も早い。一瞬の出来事だ。しかもシチュエーションによって状況は微妙に変化し続ける。しかも想定外の方向に打球が飛ぶこともある。当然、すべての動きを収められるわけではない。求められるは気配を察して、何を捨てて何を取るかの決断力だ。
さらに言うと、野球場における写真記者は撮影しながら収めたシーンの状況を説明するメモ書きも行って、社に写真とともに送らねばならない。多忙だ。2人は「野球の撮影は常に考えながらカメラを構えている。ほかのスポーツよりも頭を使うし、やることも多いし、疲れますね」と笑った。
通常は1人で撮影することが多いのだが、この「頭を使う撮影」「準備」は日本シリーズなど複数人体制で臨むときも同様だ。たとえば右打ちの得意な右打者で、二塁を守るのが名手・菊池涼介(広島)だった場合、自分が打者を追わなくていいポジションでカメラを構えていたら、当然、決めうちで狙うのは菊池のスーパープレーとなる。さらに言うと、狙うべきは自分だけがとらえた「決定的な瞬間」だ。こうしてほかとの差をつける準備を行っているのだ。
また、Bさんは「野球は『型』を撮る写真」とも言う。
Bさん 型を撮るとなると、守備のスーパープレーを収めるのは難しいですね。打球を追えていても、打球がグラブに入っているのか、その直前なのか。一瞬の出来事なのでシャッターは押せていても、いい瞬間が型として写っているかどうかわからないんです。写っていなかったときは焦りますね(笑)」
ここまで聞いてきて、もし野村克也(元南海ほか)のような「読みの名人」が横にいて「次はこうなる、カメラの狙うポイントはあそこ」と囁いてくれたら、どんなに助かるだろう……と、そんなことが頭に浮かび、投げかけてみた。
Aさんは「野球を知らずに撮っていても、ただ『投げた、打った、捕った』だけの写真になってしまいますからね」と言い、こう続けた。
Aさん 歴戦のカメラマンの方には「次、打ちそうだねえ」とか、ずっと喋りながら撮影している方もいます。しかもほとんど当てているんですよ。で、喋りながらも撮影に集中できている。すごい人がいるもんだなあって。最初は横にいるとうるさくてしんどかったですけど、親しくなると「次はどうですか?」と展開予想を聞いたりしていました。
この人物は、Aさんが某スポーツ紙の名物カメラマンだという。
次回、後編は具体的な選手名を挙げながら撮影のコツ、印象深い1枚やエピソード、レーザービームやエラーのように起こるか起こらないかわからないけど、起こったら試合の分かれ目になるプレーへの備えを聞いていく。お楽しみに。
※ロバート・キャパ 1913年、ハンガリー生まれの写真家。スペイン内戦、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線などの戦場を取材し、戦場カメラマン、報道カメラマンとして大きな影響を残した。文中で触れた『崩れ落ちる兵士』は1936年に撮られた1枚。
取材・文=山本貴政(やまもと・たかまさ)