社会人チームから南海へ入団し、その後、戦時中の召集をはさんで、巨人、西鉄と3球団で投手として活躍した川崎徳次。1948(昭和23)年には27勝を挙げ最多勝、1953(昭和28)年には24勝で最多勝、防御率1.98で最優秀防御率のタイトルを獲得している。西鉄クリッパーズ創設時に、地元出身の投手を欲していたチームに請われて移籍、1962(昭和)年3月3に行われた引退式も、本拠地である平和台球場で行われた。