甲子園大会会期中、毎日放送される『熱闘甲子園』(ABC・テレビ朝日系全国ネット)。その番組で編集長を務めるテレビ朝日の宮崎遊さんと、元編集長の齊藤隆平さん(2006年−2011年担当)のお2人に、番組の見どころと甲子園の魅力について聞きました。
─── 番組作りをする上で、特に大変なことは何でしょうか?
宮崎 やっぱり「どっちの学校に比重を置くか」を決めるのが毎回大変ですね。よく「負けそうな学校を取り上げる」と思われているんですが、全くそんなことはないんです。でも、取材に行くと「ウチに来た、ということはウチが負けると思ってる?」と言われて、「いや、両チームを取材しているんです」と毎回のように説明しています。
齊藤 確かに、選択しなきゃいけないときは厳しいですよね。ディレクターはAの学校だと思ってネタをあげてきても、こちらとしてはBの学校だと思って、喧嘩したり相談したり。でも、どちらかに決めなきゃいけない。もちろん、画としてはどちらのチームも撮っているんです。打ちました、勝ちました、という喜びのシーンだけじゃなくて、打たれた投手も描写することで濃淡が生まれる。2枚で初めてワンセットになり、見る人の感情を動かすことができる、というのはスタッフ全員が徹底してやっていることですので。
─── 逆に、用意していたネタがどハマりすることもありますよね?
齊藤 そうですね。代打の選手にスポットを当てて、実際に代打出場の場面があると嬉しいですよ。あとは、宮崎が担当した2004年の千葉経大付(千葉)なんかもそうだよね?
宮崎 『熱闘甲子園』のチームに入ったばかりの頃ですね。その年、私は千葉大会の1回戦から千葉経大付を追いかけていたんです。今、DeNAにいる松本啓二朗選手の代で、監督は松本選手のお父さん(松本吉啓監督)という「父子鷹」。まだ甲子園に出るかどうかもわからないときから注目していたチームが、あれよあれよと勝ち上がって、甲子園ではとうとうダルビッシュ有(現レンジャーズ)のいた東北(宮城)を撃破。その直後に、雨の影響で1日1試合だけになって、急遽「何か企画が必要だ」となったときに、「ダルビッシュに勝った松本親子でいくぞ!」となったのはよく憶えています。
齊藤 あの試合、最後のバッターとして打席にダルビッシュ選手が入る時に天を仰いだんですが、その表情を天井カメラから撮った画は秀逸でしたね。
宮崎 松本啓二朗という選手はどちらかというと気の弱いタイプで、父である監督からは、ずーっと「攻めろ攻めろ」と言われ続けていたんです。でも、東北との試合、延長10回は全球、気持ちのこもったストレートでした。だから、お父さんが初めて息子を誉めた試合だった、とまとめることができました。それは地方大会からずっと見ていたから描けたことですね。
─── これまでの番組の歴史の中で、思い出深い企画やテーマソングというと何になりますか?
宮崎 テーマソングでいえば、2010年の『あとひとつ』(FUNKY MONKEY BABYS)ですね。この曲は、PVに田中将大投手(現ヤンキース)が出演して、その後に『熱闘甲子園』のテーマソングになりました。そして去年、楽天vs巨人の日本シリーズ第7戦の最終回で『あとひとつ』が大合唱された。それ以前にも、震災の年のはじめて、当時のKスタ(現コボスタ宮城)開催試合で田中投手が先発したときにも、1回と9回に『あとひとつ』が流れたんです。『熱闘甲子園』のテーマソングがその後も物語としてつながっていくというのは、感じるものが大きかったですね。
齊藤 『あとひとつ』はちょっと別格だよね。
宮崎 日本シリーズ第7戦はたまたま私が担当していて、実況の清水俊輔アナウンサーもずっと『熱闘甲子園』でMCを務めていて、解説には工藤公康さん(元西武ほか)もいらっしゃいました。これまでの経緯をわかっている人間がその場に立ち会っていたんです。実は、最終回の『あとひとつ』が流れた場面って、実況アナウンサーも解説者も一言も喋らず、数十秒の間ずーっと『あとひとつ』の大合唱を聞かせているんですが、それはあの歌と田中投手の経緯をずっと知っていた人間が集まったからできたことだと思うんです。「球場のファンが大合唱しています」なんて野暮なことは言わない。この歌のもつ意味をちゃんと理解して、ファンにも受け継がれていって、プロ野球の一番のクライマックスシーンにもつながっていったというのは、すごく嬉しかったですね。