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巨人打線の救世主!“超高校級”プレーヤーとして名を馳せた立岡宗一郎はセンターでこそ輝くのだ!/file#045

【この記事の読みどころ】
・こんな高校生外野手を見たことない……そんな立岡がプロでやっとブレーク!
・度重なる苦難があったが、その経験が活躍に結びつく
・今季は1番・中堅手として、巨人の上位進出に貢献した!


 立岡宗一郎は巨人への移籍で水を得た。特に外野手登録された今季は、プロ入り後から課題とされ続けてきた打撃面でも成果が表れていると感じる。筆者個人としても、立岡の高校時代に抱いた第一印象が「こんなに凄い外野手は見たことがない」というものだっただけに、今季の活躍は誇らしくもあり、ようやく収まるべきところに収まった安堵感を抱かずにはいられない。



まさに“超高校級”の選手だった!


 初見は鎮西(熊本)の2年春だったと記憶している。球場や対戦相手は忘れてしまったが、鎮西のグラウンドで行なわれたオープン戦だったことはたしかだ。

 当時、鎮西には立岡だけでなく、捕手の猪本健太郎(現ソフトバンク)らを加えた大型打線を組んでいた。攻撃性の強いチームの中でも、立岡は走攻守のすべてで抜きんでた存在だった。特に中堅手としての能力の高さに度肝を抜かれた記憶が鮮明に残っている。

 中学時代は最速134キロを記録する投手としてプレーしていただけあって、肩がめっぽう強かった。高校時代には最速147キロを記録したほどにまで成長し、その数字に違わない低く、強い送球、さらにその正確性に目を奪われた。

 そして、圧倒的な守備範囲である。明らかに他の外野手よりもポジショニングが浅いのだが、落下点までの到達が異様なまでに速いため、左中間、右中間の打球はすべて立岡が処理していた。50メートル走で6秒を切る俊足を、余すことなく生かしきっていた。


 2008年ドラフトでソフトバンクから2位指名を受けた時、立岡は遊撃手への挑戦を高らかに宣言した。たしかに高校生の遊撃手としても抜群の存在だった。守備範囲と送球だけを切り取ってみれば、同年夏の甲子園を沸かせた大阪桐蔭の浅村栄斗(現西武)と比較しても、遜色はないレベルにあったと思う。

 しかし、外野手としてのダイナミックな運動能力を見ていた者とすれば「立岡の醍醐味と本領は外野でこそ発揮されるのではないか」という思いを、そう簡単に拭い去ることはできなかった。

 高校通算28本塁打の打棒もあることから、同じ熊本県出身の「秋山幸二2世」と異名を取った立岡だ。「いずれはトリプルスリーを達成する選手になる可能性がある」と評価されていただけに、内野手へのコンバートがプロでの才能開花を遅らせはしまいか? という余計な危惧を抱かざるを得なかったのである。

壁にぶつかったプロ生活。分岐点は巨人への移籍とケガ


 実際にソフトバンクでは立岡入団の翌年にドラフト1位で加わった今宮健太に押され、川?宗則(現ブルージェイズ)の渡米後もなかなかポジションを掴めずに苦しんだ。

 2012年のシーズン途中、巨人に移籍した。当時入団4年目、ドラフト2位の選手をトレードに出したのは、球団からの恩義もあったのだろう。結果として、この移籍が立岡にとって、大きなターニングポイントとなった。

 移籍直後に左ヒジ靭帯断裂というケガの影響によって、右打席でのスイングができなくなり、左打者に転向する。2013年には1軍で46試合に出場。さらなるアピールのため、活路を見出そうとスイッチヒッターへと転向するが、打撃成績は一向に上がらず。

 しかし、度重なるケガを克服した精神力と、内外野どこでも守ることができるユーティリティーさ(プロ入り後、内野手で練習していたことが、ここで生きるとは思ってもいなかった)。今の巨人には欠かすことができないものだったのだろう、原辰徳監督は立岡に機会を与え続けた。

 背水の陣で臨んだ2015年シーズンは内野手での起用を含め過去最多の91試合に出場を果たす。開幕当時の主力が立て続けにケガで戦列を離れたこと、中堅手のライバルたちが結果を残せなかったこともあり、巡ってきたチャンスに応えることができた。


 優勝を争う重要な局面を迎えたシーズン終盤には1番打者として定着し、規定打席には到達できなかったものの、打率.304と活躍した。これまで6年間で15安打だった選手が、1シーズンで100安打を超えた(最終的に103安打)。もし、立岡の存在がなければ、2位の座に留まっていたかもわからない。それほど、今季、低調に終わった巨人打線の中で、立岡の生きの良さは目立つものがあった。

 プロ入り後、ここまで本塁打がゼロという結果からも、高校時代の派手さは捨て、生きるべき道を見つけたようだ。それ以上に外野手への登録変更、そして中堅手という主戦場を得たことが、急成長の要因になっているのではないか。高校時代の立岡を知る者の多くが、きっとそう感じているはずである。


文=加来慶祐(かく・けいすけ)
1976年生まれ。九州・沖縄地区を中心に取材をしているスポーツライター。アマチュア時代に目をつけた選手が次々とプロで活躍する目利きも評判。『繋ぐべきもの〜甲子園と高校野球 バトンを託された男たち〜』など共著に名を連ねる書籍も多い。

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