下位に低迷するオリックスで、ひとり気を吐く小さなルーキー。ドラフト7位で入団した西野真弘の活躍は、多くの野球ファンを驚かせた。
西野を初めて見たのは国際武道大の4年秋。明治神宮大会の予選にあたる関東大学選手権の決勝戦だった。この年の国際武道大は1番・西野から始まり、2番・野中祐也、3番・藤島翔太郎(ともに日立製作所)、4番・長谷川拓真(JR東日本)、5番・友永翔太(日本通運〜中日)と、のちに社会人でもレギュラーになる人材が揃っていた。当時の西野の印象は「確かに足は速いかな」程度。上背がないので「社会人がちょうどいい」という印象だった。
JR東日本に入ってからも、イメージは変わらなかった。1学年上に同系統の田中広輔(現広島)がいたこともあり、西野の印象は薄かった。田中の鼻っ柱の強いプレースタイルに対して、西野はまとまっている分、インパクトに欠けていた。田中が課題だったスローイングを克服してショートで活躍していたのに比べて、西野がセカンド専門というのもマイナスポイントだった。
しかし、ある日を境に、西野を見る目が大きく変わった。
昨年の都市対抗初戦の室蘭シャークス戦で、5回裏1死から西野が死球で出塁した。シャークスのバッテリーは瀬川隼郎(現日本ハム)と井川直人。経験豊富なベテラン左腕と、北海道を代表する俊敏な捕手を相手に、西野は続けざまに盗塁を決めた。初球で二盗、2球目で三盗を成功させ、3球目のサードゴロで本塁に突入した。おそらくゴロゴーのサインが出ていたのだろう。惜しくもホームでタッチアウトになったが、もしかしたら西野の足だけで1点が入っていたかもしれない。ここ一番で勝負をかけられる判断力。堀井哲也監督が仕掛けた一か八かの勝負に乗っていける度胸。この機動力ならプロでも通用するのではないか? ――そんな期待が膨らんだ。
しかも、西野は開幕から予想をはるかに超える活躍で、セカンドの定位置を奪い取った。交流戦終了時点で49試合に出場し、打率.306で3本塁打。8盗塁は当然として、ここまで打てるとは……。倉本寿彦(日本新薬〜DeNA)、井領雅貴(JX-ENEOS〜中日)と、日本代表で西野より打力があるとされていた左打者が軒並み苦戦する中、十分すぎるくらいの数字を残している。四球も選べているから、文句のつけようがない。