大熱狂で幕を閉じた甲子園。深紅の優勝旗を手にした東海大相模(神奈川)の2枚看板・小笠原慎之介と吉田凌、最後まで力投を見せた仙台育英(宮城)のエース・佐藤世那、爆発的な身体能力を大舞台でも遺憾なく発揮した関東一(東東京)のオコエ瑠偉など、今大会もニューヒーローが次々と誕生した。
もともと、右投左打はイチロー(マーリンズ)に代表されるような巧打タイプが多いと言われている。
さまざまな理論があるが、多くの右投左打の選手は“右利き”であり、後ろ手となる左手の押し込みが弱くなる→飛距離が出にくい というのが、もっとも有名な一般論だ。
実際に日本プロ野球のホームラン王をさかのぼって調べてみても、ほとんどの選手が右投右打や左投左打の投打が一致する選手だ。右投左打の日本人ホームラン王は掛布雅之(元阪神)、松井秀喜(元巨人ほか)、小笠原道大(中日)のわずか3人しかいないのだ。
マニエル(元近鉄ほか)、バース(元阪神)、スイッチヒッターのデストラーデ(元西武)のなど、外国人助っ人を含めるともう少し数は増えるが、やはり投打一致の選手が明らかに目立っている。
そんな数少ない右投左打の本塁打王・松井秀喜。松井は小学生時代に兄のグループに混じって野球をしているうちに「打ちすぎるからお前は左だ」という少々理不尽な命を受け、さらには大ファンである掛布雅之も右投左打であったことから左打者に転向した。
日本時代最終年の2002年には50本塁打を放ち、日本を代表するホームランバッターだった松井も、メジャー移籍後はパワー自慢のメジャー投手を前に、左手の押し込みの弱さを自覚し、技術的に悩んだという。
それでもメジャー2年目には31本塁打を放ってしまうのが松井のスゴいところなのだが、そんな“超一流の右投左打”でもどうしても付きまとう悩みだというのも怖いところだ。
松井は引退後、サンスポのコラムで「今から思えば、右でも打ってみたかった」とスイッチ願望を明かしている。「左はつくり上げたもの。不器用で一歩一歩つくり上げなければいけなかった」「右の方が自然な打者だったろうと思う」。
本人にとっても“if”の世界だが、「自然に打ってみたい」「押し込みがもう少し利けば…」という右投左打の葛藤が垣間見える話だ。
イチローや松井の活躍と前後して、少年野球では右投左打が増加している。その理由の多くは「俊足を生かすため」や「少しでも一塁に近づくため」というものが多い。清宮も中学時代に野球部のマネージャーを務めていた母の「一塁に近い」という助言で左打ちに転向した一人だ。
日本野球界の「スラッガー不在」の影響もあり、こうした左打者転向は近年になって“悪”とされてきたが、現在の野球界を見ると一概にそうとも言えない。
筒香嘉智(DeNA)や柳田悠岐(ソフトバンク)、森友哉(西武)をはじめ、右投左打のスラッガーが増えてきているのだ。本塁打数こそ目立たないが、梶谷隆幸(DeNA)もツボにはまったときの飛距離は抜群。圧倒的飛距離を持つ、従来の右投左打像をぶち壊す選手たちが続々と球界の中心で輝いているのだ。
従来、右投左打は育成が難しいと言われてきたが、近年の様相を見ると、右投左打の増加とともに育成技術も整ってきたのではないかという仮説を立てることもできる。
先述の「左手の押し込み」など、先人たちが苦労した点をどう克服していくか。選手・指導者も学生時代から対策を立て、トレーニングすることができる時代の利もある。
つまり、右投左打は今が評価の分かれ目だ。「体の摂理に反するから一概に悪」から「メリットを生かしてデメリットを減らす」という新しいフェーズに移ることができるのか——。
高校球界に現れた怪物・清宮幸太郎はその象徴になっていくだろう。右投左打の清宮が大成するのか、はたまた「清宮ですら、ダメだったんだ」と右投左打時代に終止符を打つのか。ある意味では、野球界全体の未来・方向性を決める存在になってもおかしくはない。
1999年生まれの16歳。怪物1年生・清宮は“右投左打スラッガー”の可能性を証明できるのか。今後の成長に注目していきたい。
(文=落合初春)