先発陣の世代交代を確かにしたい巨人が岸孝之(西武)タイプの長身右腕を2位指名。農作業から豊臣秀吉までを語るユニークな投手の核には父からの教えがあった。
巨人と近畿大といえば、1998年の二岡智宏を巡る騒動が忘れられない。広陵時代から熱心にマークを続けていた広島と相思相愛と思われた近大の二岡が逆指名したのは巨人。巨人は1位・上原浩治(当時大阪体育大)、2位・二岡のW獲りを成功させ、広島は以降、近大から選手を獲らなくなった…。その二岡以来、近大から巨人へつながったのが畠世周だ。
昨秋、リーグ戦で3試合連続完封。一気に評価を高めた。今年も3月には阪神2軍との交流戦で5回無失点、8月には都市対抗ベスト8後の日本新薬との練習試合でノーヒットノーランも達成した。
成長の余地を多分に残し、先々、大エースになる可能性も秘める素材だ。ただ、今秋は右ヒジ痛から2試合の登板のみ。メディカルチェックの結果次第では手術を行う可能性もあるが、通称・ネズミと呼ばれるもので症状は重くない。むしろリハビリを準備期間ととらえ、大きな成長につなげてほしい。
広島出身の畠は近大福山に入学するも、目立つ実績は残せなかった。1、2年時に足の指や手の指を骨折。3年夏に初めて「1番」を背負うも広島大会4回戦敗退。最後は7回から2イニングを投げ、7失点でのコールド負けだった。その相手は広島新庄で、先発は来年から同僚となる1学年下の田口麗斗。田口とは3年に上がる春にも練習試合で対戦し、強い印象が残っているという。
「田口はコントロールが抜群。僕は左打ちですけど、外の球なんか“あんなに遠く感じるのにストライクか!”というくらい厳しいところにきていた。すごかったです」
高校時代の球速を尋ねると「入った時が133キロ…」と言ってモゴモゴ。なんでもチームのスピードガンが入学後に壊れ、計測機会がなかったとか。3年春の広島新庄との練習試合で、相手選手から伝えられた142キロがその後、高校時代に唯一知った球速だった。その球速も今や150キロを突破。ただ、ストレートが持ち味には違いないが、本人がこだわるのは緩急。子どもの頃から“そのあたり”に興味があった。和田毅(ソフトバンク)のピッチングに惹かれたのも「どうしてあの球速でプロのすごいバッターたちを抑えられるのか…」と考えたから。単に「すごい!」と憧れるだけでなく、「どうして?」が先にくる少年は投手目線、打者目線ともに緩急、タイミングに興味を持った。
今、理想の投手に桑田真澄(元巨人ほか)を挙げる理由も「カーブとストレートの緩急や、他の変化球も交えたコンビネーション、タイミングをずらす投球が好きだから」。小学校から中学に上る春、初めて覚えた変化球はチェンジアップ。今のこだわりを知ると“らしい”話だが、畠の想像によると、体への負担を考慮した父の教えがあったからだという。
野球経験はないが、畠世周が形成されていく中で父の存在は極めて大きかった。話にはしばしば「父が…」と登場する。バランスのよさや、柔らかくて強い体の話になった時には、「父の背筋は200キロ以上、握力は70キロと聞いていました。農業をやっていて、体を強くするには農作業が一番だと言って、僕も手伝っていました」と。泥道の田んぼを歩くことも効果抜群だったと振り返る。
「泥んこの田んぼを歩く時は普通に足を上げても抜けない。少し外から回すようにするんです。今、思えば股関節のトレーニングですね。外に足がよく曲がると言われますが、その効果だと思います」
思考についても父からの教えを挙げた。
「野球は相手と戦うスポーツですがまずは己を知れ、と。自分を知ることで、今何をすべきかが見えてくる。この考え方も父のお陰で身につきました」
前のめりで話す畠の雰囲気は、オードリーの若林正恭のようなイメージ。物知りの好青年でおしゃべり好き。話題もユニーク。ドラフト後の記事では子どもの頃からモーツァルトを聞いていたことが見出しになっていた。穏やかな性格にモーツァルトは確かに重なる。
さらに、先に挙げた農業話の中ではこんなことも言った。「豊臣秀吉が刀狩をしたのも、農民の力が怖かったんだと思います」。まさか野球選手の取材で豊臣秀吉、刀狩のワードを聞くとは思わなかった。このキャラクターは人気沸騰間違いなし。あとは活躍次第だ。まず己を知り、現在地を確認し、そこで何を感じ、どう動いていくのか。畠の頭の中を想像しながら、そのプロ生活を追ってみたい。
(※本稿は2016年9月発売『野球太郎No.021 2016ドラフト総決算&2017大展望号』に掲載された「28選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・谷上史朗氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。)