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広島“暗黒時代のピーク”2010年を覚えているか。強豪への一歩、球団史に残る大惨敗の中に見た光

文=井上智博

広島“暗黒時代のピーク”2010年を覚えているか。強豪への一歩、球団史に残る大惨敗の中に見た光
 1998年から2012年まで、15年にも及んだ広島の暗黒時代。その渦中においても、特に不振に苦しんだのがこの2010年であった。

 その不振ぶりは、今年で創立70周年を迎える球団史の中でも屈指との呼び声が高い。果たしてこの2010年は、いかなる惨劇が起きたのか? 一方、漆黒の闇の中にも、現在の「強豪・広島」に繋がる希望の光が微かに見えたのもまた事実。そんな光と闇が激しく交差した2010年の広島を余すことなくお伝えしたい。

期待の中で幕を開けた野村政権1年目


 前年、5位に沈みあえなく解任されたブラウン監督の後任として就任したのが、広島復活の切り札と目されていた野村謙二郎監督だ。現役時代、トリプルスリーを記録し、2000本安打も達成した実績と人気を兼ね備える野村氏の監督就任に歓喜したファンは数知れず。

 その野村監督が就任会見上で「目指すのはCSではなく優勝!」と高らかに「優勝宣言」。

 切り札・野村監督の口からでた力強い言葉に、「野村監督ならやれるかも……」と、勝利の味を忘れていた広島ファンたちも、現実(厳しい戦力)に目を背けその気になってしまった。そんな期待感の中で開幕した野村カープの初年度であったのだが……。

 2010年の開幕戦は入団3年目で初の開幕投手を託された前田健太の好投で快勝。若きエースの誕生に「これはほんとにいけるかも!?」と思ったものの、次の試合から悪夢が待っていた。

 開幕2戦目からはまさかの7連敗。懸念されていた投手陣が早くも崩壊してまったのだ。その結果、3、4月を10勝15敗で終えると、5月18日には早くも借金10の大台に。7月19日には1959年以来の4戦連続の完封負けを喫し、自力優勝が消滅。その後、1度も浮上することなく球団史上ワースト2位となる58勝84敗2分の5位でシーズンを終了した。キャッチフレーズの「俺たちは勝つ!」が虚しさを引き立てる惨敗のシーズンとなってしまった。

 低迷の最大の原因は投手陣の崩壊だ。シーズン前に開幕投手候補だった大竹寛が負傷。4月にはクローザーの永川勝浩、5月には、リリーフエースのシュルツも離脱と続けざまに投手陣の軸を失ったことが大きく響いた。

 6月7日のオリックス戦では、パ・リーグ記録の10者連続安打を含む25安打を打ち込まれ21対10という、にわかに信じ難い敗戦を喫する。出る投手がことごとく打ち込まれ、満員の福山市民球場のファンが立ち尽くすシーンは、このシーズンの投手陣の崩壊を象徴していた。

 そもそもシーズンオフにローテの柱だったルイスが退団しながら積極的な補強に乗り出さなかったことから、投手陣の崩壊は予想できていた。それにも増して故障者が続出したことが、想定を遥かに上回る惨劇を呼んでしまったのだろう。

 打線に目を向けると、チーム打率はリーグ4位の.263と、よくもないが悪くもない数字を残したが、チーム本塁打は104本でリーグ最下位と破壊力を著しく欠いた。これは主砲・栗原健太の負傷離脱、それに加え、新外国人のヒューバー、フィオの不発が要因だった。

 もともと薄い選手層の中、主力をケガで欠いたことは致命的だったが、野村采配にも批判が集中。前年からのスタイルを変えることにこだわった結果、裏目に出ることが多かった印象が強く、それが辛辣な批判へと繋がった。

 期待もあっただけに、その反動も大きく、最下位を免れたものの歴代ワースト2位の負け数を記録したことで、このシーズンを歴代ワーストと唱えるファンは多い。

敗戦の中に見た光


 目を覆いたくなる惨敗のシーズンだったが、選手個人に目を向ければ、暗黒時代ながら明るい未来が見えてきたのも2010年の特徴とも言えるだろう。

 その筆頭がこの年に大ブレイクを果たした前田健太だ。プロ3年目で初の開幕投手に抜擢されるとチームで唯一、規定投球回数をクリア。15勝8敗、防御率2.21、174奪三振で投手三冠を達成。沢村賞も受賞し、看板選手に成長した。

 2010年のチーム防御率4.80はリーグ5位。もし前田の活躍がなければ、リーグワーストは避けられなかった。当時、1人投手王国などと揶揄された。今、冷静に振り返ると言い得て妙だ。

 その後の活躍は言わずもがな。日本を代表する投手が誕生したこの年は、日本野球史にとっても重要なシーズンだったかもしれない。

覚醒した和製大砲


 野手に目を移せば、ケガに苦しんでいた梵英心、廣瀬純がともに初の打率3割を記録。梵は盗塁王を獲得し、機動力野球復活の原動力となった。廣瀬は定評のあった右翼守備で、世紀のホームランキャッチで注目を浴びた赤松真人ともに念願のゴールデン・グラブ賞を受賞。右翼・廣瀬、中堅・赤松の外野陣は歴代最高という声はいまだに根強い。

 その梵、廣瀬以上にファンを沸かせたのが、2年目だった岩本貴裕だ。地元・広島出身のドラフト1位。それに加え、長距離包のロマンを抱かせる岩本は、広島ファンにとって特別な存在だった。

 その岩本が大器の片鱗を見せつけた。栗原の離脱に伴い6月28日に1軍昇格を果たすと、ノーステップ打法で本塁打を量産。61試合の出場ながら14本をかっ飛ばしたのだ。これは、14打席に1本のペースで放たれた計算となり、フル出場ならば本塁打王も狙えるほどの大爆発。未来の大砲が描いたアーチは、残酷な敗戦が続く広島ファンに勝敗を越えた喜びを与えたのだった。

 残念ながらこのシーズン以降はケガに苦しみ、本来の力を発揮できずユニフォームを脱いだが、2010年に岩本が放った輝きは広島ファンの脳裏に強く焼きついている。

勝敗以上に実りがあった2010年


 そもそも何故、これほどまでに当時の広島は弱体化してしまったのだろうか? その原因はFA移籍を表明した選手を獲得してこなかったこと、逆指名制度により不利なドラフト戦略を強いられ、戦力を削られてしまったことが挙げられる。その結果、2010年は弱体化のピークに至る状況に陥り、チーム史上ワースト2位という惨憺たる成績に終わってしまった。

 しかし先述したように、その惨劇の中でも独自路線で獲得した選手たちがタイトルを獲得するなど、翌年以降の広島に大きな希望の光をもたらせたという点は見逃せない。事実、この3年後の2013年に広島は暗黒時代を抜け出す。2013年のAクラス入り背景には先に挙げた選手たちの活躍があり、広島の育成力、スカウティング力が証明されたといっても過言ではないだろう。

 FA選手を獲得せずとも、逆指名で有望選手が獲得できなくとも(廣瀬は逆指名入団)、育成次第ではタイトルホルダーまで成長でき、強豪チームとも戦える。そんな希望を持てた実りあるシーズンであった。それだけに、最悪の成績ながら今日の「強豪・広島」への第一歩となった2010年の広島に、筆者は強い思い入れがあるのだ。

文=井上智博(いのうえ・ともひろ)

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