商業高校でまず名前が挙がるのが広島商だ。戦前から広陵とともに広島の高校野球をリードし、春2回、夏6回の甲子園制覇を誇る。野球部OBは鶴岡一人(元南海ほか)を筆頭に大下剛史(元東映ほか)、三村敏之、達川光男(ともに元広島)ら多くがプロ野球で活躍し、近年では柳田悠岐(ソフトバンク)を輩出している。
広島商といえば「精神野球」「緻密な野球」のイメージが強い。その昔、精神の鍛練として真剣の刃渡りを行ったエピソードは今も語り継がれている。また、最後に全国制覇した1988年夏には大会記録となる26犠打をマークするなどバントを多用し、その堅実な野球を見せつけた。2004年夏を最後に甲子園から遠ざかっているが、「古豪復活」に期待する高校野球ファンは多い。
高校野球には古くから「四国四商」の言葉がある。高松商(香川)、徳島商(徳島)、高知商(高知)、松山商(愛媛)。この四国4県の商業高校が、長年四国の高校野球をリードしてきたのだ。
近年は明徳義塾(高知)、済美(愛媛)などに役割を取って変わられてしまったが、昨春は高松商が20年ぶりにセンバツ出場。準優勝に輝き、古豪復活を印象づけた。
「四国四商」のなかでも「夏将軍」と呼ばれた松山商は夏の甲子園歴代2位の通算60勝、優勝は5回と、その名の通り夏の甲子園で結果を残してきた。1969年夏にはエース・太田幸司(元近鉄ほか)を擁する三沢(青森)と決勝で対戦。延長再試合の末に全国制覇を果たし、その激闘は名勝負として甲子園史に刻まれている。
また、1996年夏には決勝で熊本工(熊本)と対戦。1点リードで迎えた9回裏、同点本塁打を浴び、試合は延長戦に突入する。そして延長10回裏、松山商は1死満塁とサヨナラのピンチを迎える。
ここで熊本工の3番・本多大介はライトに大飛球を放つ。しかし、打球は浜風に押し戻され、代わったばかりの松山商の右翼・矢野勝嗣がキャッチ。矢野はタッチアップした三塁走者を刺すべくバックホーム。しかし、送球は高目に浮いてしまう。誰もが熊本工のサヨナラ勝ちを確信した……が、ボールはそのまま捕手・石丸裕次郎のミットにノーバウンドで収まり、判定はアウト。
この奇跡のバックホームで窮地を脱した松山商は延長11回表、3点を挙げ勝ち越し。27年ぶりの優勝を勝ち取った。
商業高校で強い印象を残すチームに銚子商(千葉)がある。夏の甲子園には12回出場し、「黒潮打線」の異名で知られた。1973年夏には怪物・江川卓(元巨人)を擁する作新学院(栃木)と対戦。徹底した江川対策で臨み、最後はサヨナラ押し出しで勝利をつかんだ。さらに翌1974年夏はエース・土屋正勝(元中日ほか)、2年生の4番打者・篠塚利夫(現・和典、元巨人)が投打の軸となり、初の全国制覇を成し遂げた。
宇部商(山口)は1985年夏、桑田真澄(元巨人)と清原和博(元西武ほか)の「KKコンビ」を擁するPL学園(大阪)と決勝戦で戦う。宇部商は4番打者・藤井進が3試合連続で4本塁打と打線をけん引。大会記録となる14打点を樹立していた。
宇部商は2回に1点を先制したものの、4回、清原に一発を浴び同点に。さらに5回には勝ち越しを許してしまう。それでも6回に2点を挙げ3対2と逆転するもその裏、清原にこの試合2本目の本塁打を打たれ、再び同点に追いつかれる。試合はそのまま3対3で9回に突入。9回裏にPL学園・松山秀明にサヨナラ打を浴び、宇部商の全国制覇は叶わなかった。
文=武山智史(たけやま・さとし)