1979年生まれ。龍谷高の一塁手として、1995年の甲子園に出場した。2年生ながら4番を任されていたが、初戦の越谷西戦は1−7で敗退。しかし、チーム唯一の得点となる本塁打を放っている。 明治大、社会人のJR九州で活躍。2007年、創立100周年を迎えた龍谷高の野球部監督に就任した。社会人時代は捕手としてプレーした経験を生かし、毎年のように好投手を育てている。また、佐賀県内外の中学生を熱心に視察。その姿も高評価を受けている。