夏の甲子園真っ盛り。今年も甲子園球場を舞台に熱戦が繰り広げられている。令和となってから初めての甲子園だが、大正、昭和、平成と100回の歴史がある。
今回は過去の甲子園で「とんでもない数字」を記録してきた「◯◯王」をご紹介したい。
「甲子園は清原のためにあるのか」──1985年夏の甲子園決勝で朝日放送の植草貞夫アナウンサーが残した名台詞である。その言葉どおり清原和博(PL学園、元西武ほか)は甲子園で二度と破られないであろう記録を作っている。それは、甲子園における通算本塁打数「13」という数字だ。
2位は桑田真澄(PL学園、元巨人ほか)、元木大介(上宮、元巨人)、中村奨成(広陵、広島)の6本塁打。実にダブルスコア以上の差となっているのである。その事実からも凄さがよくわかる。
単純計算ではあるが、3年間で出場可能な5大会で平均2本以上の本塁打を記録しなればいけないのである。そもそも5季連続で出場することが困難だ。
ちなみに今夏の甲子園で5季連続出場となっている学校は、智辯和歌山の1校のみ。もちろん、物理的には5季連続出場を果たさなくても届くが、可能性は限りなく低くなる。
自分自身が活躍するのはもちろんだが、そもそもチーム力がなければ、甲子園の舞台に立つことすらできない。甲子園における通算本塁打王の清原は自身の能力が高かったことは当然だが、桑田をはじめとしたチームメートも優れていたからこその記録とも言えるだろう。
■甲子園通算本塁打
1位:清原和博(PL学園)/ 13本塁打
2位:桑田真澄(PL学園)/ 6本塁打
2位:元木大介(上宮)/ 6本塁打
2位:中村奨成(広陵)/ 6本塁打
高校野球に限らずとも、球場で観客が盛り上がるシーンの一つに三振を奪った瞬間がある。そして、甲子園においても奪三振における記録はもちろんある。
1大会における最多奪三振記録は1958年夏に板東英二(徳島商、元中日)が記録した83個。60年以上経過した今でも破られていないアンタッチャブルレコードのひとつである。
そしてもうひとつ。1試合(延長戦は除く)における奪三振記録である。
雨天などのコールドゲームをのぞき、勝利するために1試合で奪なければならないアウトは27個。そのうち22個を三振で奪ったのが松井裕樹(桐光学園、楽天)である。
2012年夏の甲子園。2年生ながらエースナンバー「1」を背負った松井は、愛媛の強豪・今治西戦で初回から三振を奪っていく。5回を終えた時点でノーヒットピッチング。奪った三振は11個ととんでもないハイペースだった。
6回に安打を許しノーヒットノーランこそできなかったものの、8回を終えて19奪三振。延長戦を除いた1試合最多奪三振の記録に並んでいた。あと一つ三振を奪えば大会記録だったが、9回に積み上げた数はなんと3つ。1試合22奪三振の大会記録が生まれた瞬間である。また6回1死から9回2死まで10者連続三振のおまけつき。こちらも甲子園記録となっている。
板東が記録した1大会の奪三振記録はチーム力がなければ、勝ち上がることができず、実現は不可能に近い。また、そもそも最大6試合となっている現行の方式で、83個を上回るためには平均13.8個の三振が必要。個人の力はもちろんチーム力がなければ達成は不可能だろう。
一方で1試合最多奪三振は神がかりな投球ができれば、どんな投手にでもチャンスはある。もしかしたら今夏、この記事が公開される前に奪三振王が松井から代わっているかもしれない。
そのほかの記録はどうだろうか。
1大会における打撃記録の多くは、2017年夏の甲子園で中村奨成が塗り替えた。1大会における6本塁打、43塁打、17打点はいずれもトップ。19安打は水口栄二(松山商、元近鉄)とならんでトップタイ。負担の大きい捕手として、記録を更新したことに大きな価値がある。
まさに甲子園における打撃王と言ってもいい。それくらい2017年夏の甲子園における中村の存在は圧倒的だった。世代のトップランナーである清宮幸太郎(早稲田実、日本ハム)が不在の大会を大きく盛り上げた。
さて、今大会では新たな「◯◯王」は誕生するのだろうか。歴史に名を刻む球児の出現が楽しみだ。
(※記録は2018年夏の甲子園終了時点のもの)
文=勝田聡(かつた・さとし)