2015年、6年間の長きに渡り東京ヤクルトスワローズの試合を描き続けてつかみとったリーグ優勝! 泣きました。神宮球場の一塁側スタンドで誰彼構わず、知らぬ者同士で抱き合いました。
「描くことで戦力になる」を標榜し活動してきた僕にとって、それがゴールでした。その翌日、真中満監督の胴上げのシーンを描いたとき、これでヤクルトでの活動は終わったんだと思いました。チームを離れるときです。
もちろん離れたくはありません。大好きなチームです。しかし、そのまま続けていては、たんに〈ヤクルトが好きな絵描き〉になってしまいます。そうではなく、いち選手として戦っていきたいと思う。こんな取り組みをチームが受けとめてくれるかどうか、グラウンドに立たない選手として認めてもらえるかどうか、それが僕の目指すところです。
2010年にヤクルトを描き始めたころ、チームのことを僕は何も知りませんでした。前年まで楽天の試合を描いていた僕がヤクルトに〈移籍〉したのは、2009年シーズンの途中で楽天からヤクルトへトレードされた一場靖弘投手を追いかけたからです。
2009年、野村克也監督のもと、2位に躍進した楽天の全試合を銅版画で描き、版画集としてまとめたものを退任する野村監督と楽天球団にお届けしました。それで満足でした。版画集『プロ野球画報』は、第13回岡本太郎現代芸術賞で特別賞を受賞し、美術家として一定の評価も受けました。心残りは一場投手を描けなかったことです。
ヤクルトへ移籍後たった1勝で終わっていた一場投手、何も知らないチームで一から自分の居場所を見つけていかなくてはならなかった一場投手を追いたいと思いました。その思いを当時まだ新橋にあった球団事務所でお伝えして、ヤクルトでの活動がスタートすることになったのです。
2010年シーズンの途中、成績不振で高田繁監督が辞任し、小川淳司監督のもとリ・スタートしたヤクルト。それから小川監督の野球に心酔し、あれやこれやと取り組み方を変えながら描き続けた5年間。そして絵のスタイルが確立したという手応えをもって挑んだ2015年、新生・真中ヤクルトで初めて味わうことができた優勝。それでも個人的目標である〈グラウンドに立たない選手としてチームに迎え入れてもらう〉願いは叶いませんでした。
でもまだ野球はヤメたくない。ヤメられなかった。ヤクルトで叶わなかったことが12球団の総意とは思えない。
シーズン終了後、優勝への軌跡を一冊にまとめた本『プロ野球画報2015 東京ヤクルトスワローズ』を携えて、何球団かにおうかがいを立てたとき、話を聞いてもらえたのが千葉ロッテマリーンズでした。しかし、ヤクルトファンとして認知されている僕を迎え入れることに対するハードルは高いとのこと。当然です。その通りだと思います。
「では、まず1年間、自分のために描きます。描きながら血の入れ替えをしていきます。シーズン終了後に描いた絵を見て再度判断して下さい!」
そうお伝えしました。そして2016年シーズンがスタートし、毎日ロッテの試合を観て、その日のハイライトを描きました。3試合・1カードにつき1枚、レギュラーシーズン51枚、CS2枚、計53枚から成る、ロッテ2016年シーズンの記録です。
新参者ではあるけれど、ロッテを応援するという強い意思をもって精一杯戦った証しでもあるこの絵を、まずは選手に、そしてファンの皆さんに見てもらうこと、2017年、NEWシーズンはそこからのスタートです!
(つづく)