「彗星のごとくデビュー」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、右ヒジを高く上げる独特な投球フォームで強烈なインパクトを与えた右腕・山内泰幸だ。
広島出身の山内は1994年のドラフトで球団史上初の逆指名により入団。他球団の好条件を断った上でのことだった。
その「広島愛」に加え、日本体育大時代に首都大学リーグで通算31勝。連続無失点(43回1/3)のリーグ記録を達成と実績も十分。鳴り物入りで入団した山内は期待に応え、1年目から大車輪の活躍を見せた。
1995年4月11日の初登板では6回を1失点に抑えて初登板を白星で飾ると、5月には4勝を挙げ、月間MVPに。また、オールスターゲームにも選出され、最終的には14勝10敗 防御率3.02の好成績で新人王に輝くなど、その躍進ぶりは目覚ましいものだった。
山内の投球フォームは、ピンクレディの人気曲「UFO」の振りつけに似ていることから「UFO投法」と名づけられた。このフォームを真似する野球少年が急増。このことからも、山内の人気ぶりが伝わってくる。
1996年も11勝を挙げ、2年連続の2ケタ勝利を達成。将来の大エースになると誰もが期待したが、3年目以降はケガと不振で低迷。輝きを取り戻せぬまま、2002年シーズンを最後に現役引退。わずか8年の現役生活だった。
1998年の新人王争いは熾烈を極めた。川上憲伸(中日1位)、高橋由伸(巨人1位)、坪井智哉(阪神4位)、小林幹英(広島4位)が争ったハイレベルな戦いは伝説と化しているほどだ。
そのデッドヒートのなかで、小林は輝きを放った。
開幕1軍を勝ち取ると、いきなり開幕戦にリリーフ登板して勝ち投手に。「開幕戦、初登板、初勝利」という華々しいデビューを飾る。そのままクローザー、セットアッパーとして獅子奮迅の活躍。54試合に登板して9勝6敗、18セーブ、防御率2.87と好成績を残した。
通常なら、新人王に選ばれてもおかしくない堂々たる成績だが、結局、新人王に輝いたのは、中日先発陣の柱として14勝を挙げた川上だった。なお、高橋、坪井もレギュラーとして打率3割台を記録した。
ハイレベルな新人王争いが繰り広げられた伝説の1年。その渦中で奮闘した小林の姿は広島ファンの心に深く刻まれている。
背番号106。1996年4月12日、甲子園で見慣れぬ3ケタ背番号が躍動した。その背番号の主はロビンソン・チェコ。
初めて見る3桁の背番号にスタンドがざわつくなか、ドミニカのカープアカデミー出身の剛腕投手・チェコは完封勝利。背番号とともにチェコの名は一躍、知れ渡った。
躍動感溢れるフォームから放たれる150キロ超のストレートを武器に、15勝8敗 防御率2.74の大活躍。派手なガッツポーズも人気に拍車をかけ、新たなエース誕生とファンを喜ばせた。
チェコはカープアカデミーが生んだ最高傑作だった。当然、その先の活躍も期待されていたのだが……。
元来、メジャー志向の強かったことに加え、契約で揉めてしまい、わずか在籍2年でレッドソックスへ移籍してしまった……。
「金銭で揉めてゴリ押し移籍」というイメージが残り、ファンとしては複雑な心境にならざるを得ない。しかし、初年度の大活躍はそれ以上にファンの記憶に残っている。
ここで挙げた選手たちが新人時代から活躍できたのは、実力があったのは言うまでもないが、臆せずに強打者に向かっていくファイティングスピリットがあったからだろう。
加藤、床田ら今季のルーキーも彼らのファイティングスピリットを継ぎ、真の投手王国建国に貢献してほしい。
文=井上智博(いのうえ・ともひろ)