ダイエーホークスが本拠地を福岡に移転した1989年。プロ入り4年目で背番号を6番に変更したのが湯上谷?志。1990年から3年連続全試合出場を果たす。
内野ならどこでも守れるユーティリティープレーヤーとして王貞治監督にも重宝された。
しかし、ダイエーが初優勝した1999年は小久保裕紀、井口資仁、浜名千広らの控えに甘んじ、出場は20試合のみ。翌2000年の日本シリーズでエラーをした際、「自分のプレーができなくなった」と悟り、16年間の現役生活に幕を閉じた。
湯上谷以降、背番号6を背負った3選手はいずれも移籍組だった。
1999年のシーズン途中に中日から移籍した鳥越裕介は湯上谷引退の後を受け、2001年から背番号6を継承。堅い守備でチームのピンチを何度も救った。
鳥越は「守備の人」として存在感を発揮する反面、打撃は期待できなかった。日本記録となるチーム打率.297をマークした「ダイ・ハード打線」が猛威を振るった2003年。3割打者が5人に「100打点カルテット」と打ちまくったチームにおいて、9番・鳥越の打率は.212だった……。
「鳥越があと少し打ってれば前人未到のチーム打率3割だったのに」などと言われたものだ。
守備の人・鳥越は2006年に引退。同年オフに寺原隼人とのトレードで横浜からやって来たのが多村仁志(2009年5月までの登録名は多村仁)だ。多村は背番号6を受け継ぐ。
多村は移籍1年目の2007年から主力として活躍。7年ぶりのリーグ優勝を果たした2010年にはキャリアハイの打率.324を記録し、FA宣言。メジャーリーグも視野に入れていると報道されたが、王貞治球団会長の説得により残留を表明した。
2011年は1000試合出場に1000安打を達成。日本シリーズでも活躍し、8年ぶりの日本一に大きく貢献した。しかし、2012年は出場機会が減少。シーズンオフに多村・神内靖・吉川輝昭と吉村裕基・江尻慎太郎・山本省吾の大型トレードで古巣のDeNAに移籍した。
多村から背番号6を受け継いだのが前述のトレードでやってきた吉村。一塁、三塁、外野の守備をこなし、代打の切り札としてもチームに欠かせない選手として活躍中だ。
いわゆる「外様」がつけるケースが多い「背番号6」。鳥越は現在も1軍内野守備走塁コーチを務め、引退後もホークス一筋。吉村にしても、福岡県出身ということもあり、ずっとホークスの一員であるようなイメージが強い。
今季は育成選手として中日でプレーし、引退を表明した多村も、いつかはホークスのユニホームを着てほしい。
そう願っているのも私だけではないはずだ。
文=溝手孝司(みぞて・たかし)
札幌在住。広告代理業を営みながら、ライター、イベントなどスポーツ関連の仕事もこなす。生まれも育ちも北海道ながら、ホークスファン歴約40年。「日米どちらも100%」と語る川崎宗則の去就が気になるというよりどっちでもいいよ! と温かい目で見ている。