1964年、キューバの首都ハバナ生まれ。生後間もなく家族とともに米国へ移住。双子の兄は近鉄でもプレー経験があるオジー・カンセコだ。
今でこそ「ステロイド問題」「お騒がせ男」として有名なカンセコだが、デビュー当初の衝撃たるやすさまじかった。レギュラー1年目に33本塁打を放ち、ア・リーグ新人王を獲得したのが1986年。そのわずか2年後に達成したのが、42本塁打(本塁打王)・40盗塁の「40‐40」だった。
ただ、カンセコのベストシーズン、といえるのがこの1988年。124打点で打点王も獲得したが、翌年以降はケガの増加、さらには私生活でのスキャンダルも重なって数字もイメージもどんどん落としていった。
今季はイチローのいるマーリンズの打撃コーチに就任し、ふたたびその名をよく耳にするようになったバリー・ボンズ。メジャー史上初の「500-500」(通算500本塁・500盗塁)を達成したことでも知られている。そんな彼でも、1996年のたった一度しか「40‐40」は達成できていない。
ボンズといえば、カンセコ同様、現役終盤は常にステロイド疑惑がついてまわった。といっても、ステロイドを使いはじめたとされるのが2000年頃(※シーズン本塁打記録73本は2001年)。1996年の「40‐40」は、薬物抜きで達成した記録、とされている。
上述したように、「40‐40」はさしものボンズでも一度だけ。ただ、30本塁打・30盗塁以上の「30‐30」は通算5回達成。これは、偉大な父、ボビー・ボンズとならぶメジャー最多記録だ。
若干21歳にして首位打者を獲得したのが1996年のマリナーズ時代。それから2年後、23歳で達成したのが42本塁打・46盗塁の「40‐40」だ。
その後はレンジャーズを経て、ヤンキースに移籍。2005年にはメジャーリーグ史上初となる20代での通算400本塁打達成など、さまざまな史上最年少記録を塗り替えてきた。
ところが、2000年代後半からは度重なる薬物問題が浮上。2014年シーズンは全試合出場停止処分を受けるなど、近年はヒールとしての見方をされることも多い。
そんな男も間もなく41歳。今年3月、2017年シーズン限りで現役引退することを発表している。
日本の野球ファンにとっては「広島にいたソリアーノ」でおなじみ、アルフォンソ・ソリアーノが今のところ最後の「40‐40」達成者だ。達成したのは2006年だが、実は2002年にも39本塁打、41盗塁(盗塁王)で「40‐40未遂」を経験していた。
その後も、なかなか40本塁打の壁を破ることができなかったが、2006年、ついに46本塁打を記録。メジャー16年で40本塁打以上はこの年だけ。千載一遇のチャンスをつかんで勝ち取った「40‐40」だった。
ちなみにこの2006年は41二塁打も記録。「40本塁打・40盗塁・40二塁打」以上を達成したのは、史上唯一、ソリアーノだけだ。
こうしてみると、ソリアーノ以外の3人に薬物疑惑があるため、クリーンな打者の「40‐40」達成者はソリアーノだけ、という見方もできる。そう考えると、山田哲人が「40‐40」を達成する偉大さがより顕著になる。
過去、日本人で「40‐40」に一番近づいたのは1987年の秋山幸二(当時西武)。この年の秋山は43本塁打で盗塁数は38。わずか2盗塁、偉業に届かなかった(※秋山のトリプルスリーは1989年の31本塁打、31盗塁、打率.301)。
ちなみに、ソリアーノ以外の3人と山田哲人には、全員が7月生まれ、という意外な共通点があった。7月16日、まもなく24歳を迎える山田哲人。今季が彼のピークなのか。それとも、さらに「先」があるのか。その成長曲線を見続けることが、同時代に生きるファンの務めだ。
文=オグマナオト