チャンピオンチーム・日本ハムが1位で獲得した高校生を「外れ外れ1位」と言うべからず。高校野球史に残る伝説の決勝戦に導かれた少年は「憧れのエース」の背中を追い、最速150キロ左腕へと変貌した。
今から3年前の2013年夏、広島高校野球史に残る「伝説の決勝戦」があった。マウンドに立っていたのは、今年のドラフトでオリックスから1位指名を受けた山岡泰輔(瀬戸内→東京ガス)と田口麗斗(広島新庄→巨人)。最後の夏、2人にとっては初めての甲子園がかかった一戦。瀬戸内の山岡が9回1死までノーヒットで抑えれば、広島新庄の田口も「オラッ」と雄叫びを上げながら瀬戸内打線を抑え込む。左右の両輪はスコアボードに30個もの「0」を並べ、延長15回引き分け。勝負の行方は再試合にもつれ込んだ。2日後の再試合でも2人は神がかった好投を見せた。8回表までまたもやゼロ行進が続く。8回裏に瀬戸内が田口から虎の子1点をもぎ取り、1対0で決着。白熱の投手戦に広島県内は熱く沸いた。
その伝説をテレビで見ていた中学生がいた。日本ハムからドラフト1位指名された堀瑞輝である。
「人生で初めて心を動かされた投手が田口さんでした。広島新庄に行けば、田口さんのような投手なれる。田口さんみたいになりたいと思いました」
堀が惚れたのは勝者の山岡ではなく、同じ左腕の田口だった。
1年秋から広島新庄のエースナンバーを背負った堀。この手の選手は小学生や中学生時代に群を抜いた実績を残している選手が多い。さぞかしスゴい伝説があるのではないか。そう思い堀に高校以前の球歴を聞いてみると、見事に肩透かしを食らった。
「小学2年の時に友達に誘われて野球を始めたんですが、本当はサッカーがやりたかった。小学生の時はずっと2番手投手。背番号8でセンターを守っていました」
小学生時代は左利きだから投手をやらせてもらっていた程度。中学に進学する時もリトルシニアやボーイズではなく、地元の呉市立昭和中の軟式野球部に入った。1学年10人前後、どこにでもある普通の野球部だったという。
「中学に入って正しい投げ方を教わり、大分マシになりましたが、それでもヘタクソでした。コントロールもめちゃくちゃでマウンドではイライラしてばかり。最高成績も県大会2回戦止まりでした」
当時の球速も定かでない。高校のオープンスクールに行ったときに初めて計測してもらい、「130キロちょっと」と聞いたが、周りと比較する機会が少なく、自分の能力がどれほどのものか、ほとんどわからなかったという。
(※本稿は2016年11月発売『野球太郎No.021 2016ドラフト総決算&2017大展望号』に掲載された「30選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・落合初春氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。)