「野球芸人」4人目に登場するのは松村邦洋さん。
熱狂的なタイガースファンとして有名な松村さんに、野球に目覚めた原点とタイガース愛を存分に語ってもらいました。全5回の短期連載、第3回がスタートします。
実は高校野球も好きなんです
こんにちは、松村邦洋です。
プロ野球では阪神タイガースの大ファンですが、高校野球も大好きです。特に僕は「オラが街」の意識が他の人よりも強いと思います。今年の甲子園でも岩国商業が負けると自分が負けたような感覚になってしまって、「もう見ねーよ!」と思っちゃいましたから。子供の頃も、南陽工の津田(恒美/元広島)さんが負けた時はショックでしたね。
今回は、そんな山口県の高校野球にまつわる思い出についてです。
「宇部商」は自分にとって大切な高校
山口県にはたくさんの野球名門校があるんですが、中でも「宇部商」は自分にとって大切な高校ですね。高校時代は宇部商とともに過ごしましたから。僕、OBでもなんでもないんですけどね(笑)。
県大会までは地元の柳井高校を応援するんです。柳井が甲子園に行ってくれないかなぁと希望しつつ、だけど、甲子園からは宇部商なんです。玉国光男監督(現在は宇部商業総監督)の息子さんの結婚式でもコメント求められて、喜んでやりましたよ!
宇部商といえば、阿久悠さんも感動されて詩にしてくれた「サヨナラボーク」(1998年、対豊田大谷)も思い出深いですが、僕なんかの世代だと、後にカープと日本ハムで活躍した秋村(謙宏)さんがヒーローでしたね。県内では「津田二世」と呼ばれるくらい凄いピッチャーで、ノーヒット・ノーランを3回くらい達成していました。
でも、甲子園ではなかなか勝てない。2年夏の甲子園では、高岡商業相手に1-0で勝っていたのに、9回に逆転されて負けるんですよ。当時の山口県は4年連続くらいで一回戦負け。春のセンバツは出れないは、夏は一回戦で負けるは、もう散々でしたね。
三度目の正直を果たしたミラクル宇部商
秋村さんが3年の春にようやく宇部商もセンバツに出場できたんですけど、久留米商業に山田武史(元巨人ほか)という凄い投手がいて、また1点差で負けちゃうんです。「関門海峡決戦」なんて地元じゃ盛り上がっていただけに、僕もかなり落ち込みましたね。
そして秋村さん最後の夏の甲子園。対戦相手があの名門・帝京で、2-5で負けてたんです。あぁ、また山口の野球は初戦で終わりだぁと思っていたら、2年生の浜口大作という選手が5回に2ランを打って4-5と1点差に追い上げるんです。でもその後、最終回ツーアウトになって、さすがにもう終わりかな、と思っていたら、また打席には浜口選手。そして高くあがった打球はポールに直撃してサヨナラ逆転ツーラン。ミラクルの連続で、それはもう喜びましたよ。まさに三度目の正直でしたね。
ちなみにその浜口さんとは、後に同級生の河本育之くん(元ロッテほか)を通じて面識が出来たんです。河本くんが、浜口さんもいた社会人野球の新日鐵光に入ったことがキッカケです。
浜口さんはあの二打席連続ホームランで学生全日本のメンバーにも選ばれたんですが、一学年下にいたのがあの桑田(真澄)さん。上級生からの洗濯物が全部まとめて1年生の桑田さんのところに来ているのを見て、浜口さんが「桑田くん、俺2年だから手伝うよ」と、一緒にやってあげたみたいですね。浜口さんも「今にして思えば、桑田と一緒に洗濯したのがいい思い出だな」と言ってましたね(笑)。
誰よりも詳しかった山口県高校野球情報
その当時、僕は高校1年で、新聞配達のアルバイトをしていました。そのバイト先で毎朝、全部の新聞を読んでから新聞を配っていたんですよ。そのおかげで「浜口大作に弟がいた!」とか、「その弟は宇部西高校にいるんだ」とか、やたらと詳しくなりましたね。さらに芸能人のスキャンダルなんか見つけると「まだ4時かぁ。これ、山口県じゃまだ俺しか知らないよ! みんなに電話してやろうかなぁ」なんて思ったりしてましたね。
配り始めても、最後の家のポストに入れる前に、「最後のチェック!」と言ってもう一回新聞読み直してました。そしたらその家のおばあちゃんがたまたま出てきて、「新聞まだ?」って言われたこともありますね(笑)。
ネットがなかった時代だから、新聞配達所がどこよりもニュースが早く届く場所だったんですよ。あの当時の山口県の高校野球情報は、僕が誰よりも詳しかったと思います。