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【野球太郎的ベースボールパーク構想!】甲子園球場は日本初のベースボールパークだった!?

文=山本貴政

【野球太郎的ベースボールパーク構想! 前編】甲子園球場は日本初のベースボールパークだった!?
 現在、野球界では中学、高校の部活動に顕著なように競技人口の減少が危惧されている。また、テレビのコンテンツとしての巨人戦が高い視聴率を稼いだ時代はとうの昔に過ぎ去った。しかし、野球人気が一概に下火なのかというと、そうでもない。野球場に足を運ぶファンの数は増加しているのだ。

 2017年のプロ野球は25,139,463人(一試合平均:29,300人)と過去最多の観客動員数を記録。セ・リーグの14,024,019人(一試合平均:32,690人)は過去最高で、パ・リーグの11,115,444人(一試合平均:25,910人)は2016年から微減だったが、高い水準を保った。高校野球を見ても2017年の夏の甲子園の観客動員数は827,000人と過去最長の10年連続80万人超えを記録した。

 さまざまなイベントや入場者プレゼントなどのキャンペーンを打つ各球団の営業努力が実り、地域と一体になった応援スタイルも浸透。「野球は観戦してこそ!」という楽しみ方が、すっかり定着したようだ。ひと昔前は、仕事帰りのサラリーマンがふらっと足を伸ばして生ビールを楽しんでいた神宮球場や横浜スタジアムは、いまやチケット入手が容易ではない。今や野球観戦は人気のエンターテインメントとなったのだ。

 その風潮のなか、楽天は楽天生命パーク宮城に観覧車などがあるスマイルグリコパークを隣接し、レジャーとして楽しむ観戦を提唱。日本ハムはホーム移転に伴い、北広島市に大規模なベースボールパークを建設することも視野に入れて動いている。これからの野球場はベースボールパークとしての価値、在り方がより求められていくのだろう。

 そこで野球太郎は『今すぐいきたい! 野球太郎的ベースボールパーク構想!!』を連載。前編となる今回は「元祖・ベースボールパーク」だった甲子園球場の建立当初の歴史などをトリビア的に紹介。後編では「こんなベースボールパークがほしい!」と架空のベースボールパークを妄想してみる!

甲子園球場一帯は野球観戦“も”楽しめる一大レジャーゾーン


 甲子園球場が誕生したのは1924年。背景には、鳴尾球場で開催されていた全国中等学校優勝野球大会(後の夏の甲子園大会[全国高等学校野球選手権大会])の人気があまりに加熱しすぎたため、大きなスタンドを備えた本格的な野球場の建設が急務となった事情がある。

 実はこの甲子園球場こそ、日本初のベースボールパークだったのだ。阪神電鉄は甲子園オープン後も周辺の開発を進め、遊園地、動物園、水族館からなる甲子園阪神パーク、総合競技場、テニスコート、競技用プールを隣接させ、一帯は一大レジャーゾーンとなった。鮮やかな光を放つ本格的野球場には水洗トイレが導入され、カレーライスやコーヒーを食せることでも時代を先駆けた。

 あまり知られていないことだが、甲子園は野球以外の目的でも活用。1938年と1939年にはスキーのジャンプ大会も開催されている。左中間スタンドに高さ40メートルのジャンプ台が設けられ、雪は長野まで買い出しに行き、電車で運んだという……。それほど、人々を引きつける魅力的な場所だったのだ。

 また、隣接する動物園を巡っては高校野球のセンバツ大会で驚きの珍事件も起こった。1951年、大会に出場する地元・兵庫の鳴尾高校の応援団が、なんと交渉の末に動物園から象を借り出して、レフト通路からグラウンドに入場させたのだ。さすがにこの快挙(?)には大会関係者が激怒。あえなく象の応援は未遂に終わった。当時の写真では、応援旗を手にして象の背にまたがる応援団長の勇姿を見ることができる……。

 1934年には高さ30メートルの野球塔も建設されていた。円形の観覧席も備え、入場甲子園に向かう選手が控えていたという。戦時中に空襲でやけてしまったが、今ではレフトスタンド後方に高さ15メートルのモニュメントが残っている。戦前のグラフ誌の表紙を見ると、堂々とそびえる野球塔が描かれているので、野球の歴史に興味のある方は、古本屋で探してみてはいかがだろうか。

 長年に渡って抜群の集客力を見せる甲子園球場だが、こうして歴史を紐解いて見ると、そもそも成り立ちから野球観戦“も”楽しめるエンターテインメントスポットとして、特別な時間を提供していたのだ。周辺の施設は姿を消したが、レジャーとしての野球観戦にときめいた空気は、今も漂っている。それが安定した集客力、阪神タイガースの熱烈な地元人気の源にもなっているのだろう。ベースボールパークを考える上で、甲子園球場の歴史は示唆深い。

少年時代に見たベースボールパークの原風景


 最後に、筆者が少年時代を過ごした岡山市にある岡山県営球場についての思い出にも少し触れたい。1980年代前半のことだ。

 いまではすっかりひなびているが、倉敷市にマスカットスタジアムができるまで、岡山県営球場は岡山野球界のメッカだった。オフには名球会の野球教室が開かれ、シーズン中は阪神や広島がよく試合を行っていた。

 岡山県営球場は、水泳や武道を含むあらゆるスポーツ競技の施設やグラウンド、加えて、憩いの場としての大小の公園や池が集う岡山総合グラウンドのなかにあるのだが、この総合グラウンドは近所の子どもたちにとって格好の遊び場だった。

 小学校から帰宅するとバット、ローラースケート、サッカーボールなどを自転車に積んで、岡山県営球場一体を走り回った。外野席裏の水路では、木の枝ににぼしをくくった糸を結びアメリカザリガニを釣った。すぐ隣の体育館にはよくプロレスが巡業に来ていた。プロレス観戦時の自転車は球場前に停めていた。夏には、子どもたちが我先にお小遣いを手に駆け出す『岡山ちびっこサマーカーニバル』の舞台にもなった。遊び疲れると球場入口の階段に腰掛けて、一休みした。とにかく楽しく、少年少女のいろんな物語が詰まった場所だった。

 何故、こんな昔話をしたのかというと、岡山県営球場は少年たちにとっての遊び場のなかにあったため、日常的に親しみのある存在だったのだ。遊びのなかにあった野球場といっていい。今風のベースボールパークにはほど遠いが、そういう意味では、確かにベースボールパーク的な存在となっていた。

 そして、この小さな野球場がプロ野球選手のプレーを教えてくれた。地元のスター球児が甲子園をかけた「最後の夏」を教えてくれた。どこか、ベースボールパークの原点に通じる「ドキドキする野球場の原風景」として心に残っている。

 この原風景は何も特別なものではなく、たくさんの野球ファンが体験してきたものだ。後編ではこの「ドキドキ」を満たす、これからのベースボールパークを自由に想像していきたい。

文=山本貴政(やまもと・たかまさ)

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