1978年夏、西田真次と木戸克彦のバッテリーを擁したPL学園は準決勝で中京と対戦。9回表まで0対4と劣勢に立たされていた。
しかし、9回裏に西田の三塁打を皮切りに得点を重ね、4対4の同点に追いつき延長戦に突入する。すると延長12回裏、1死満塁から押し出し四球でサヨナラ勝ち。決勝にコマを進めた。
決勝戦でPL学園が対戦したのは高知商。PL学園は3回に2点を失うと、その後は高知商の左腕・森浩二の前に得点を奪えず、そのまま終盤に突入していく。
2点を追う9回裏、1死二、三塁とチャンスを作り3番・木戸の犠飛で1点を返す。さらに続く4番・西田の二塁打で2対2の同点に。最後は5番・柳川明弘がサヨナラ打を放ち、PL学園は初の全国制覇を成し遂げた。
この準決勝、決勝の劇的な勝利で「逆転のPL」というフレーズが生まれ、1980年代に高校野球界で一時代を築くことになる。
1993年夏の2回戦、後に中日で活躍する川上憲伸がエースの徳島商は、甲子園初出場の久慈商と対戦する。久慈商は初回の3点を皮切りに着々と追加点を奪取。投げては左腕・宇部秀人が徳島商打線を抑え込み、8回表を終えて7対0と大量リードで試合を進める。
ところが8回裏、風向きが一変する。徳島商は1死から8本の長短打を集めて猛反撃。7対7と試合を振り出しに戻す。そして9回裏、1死一、二塁から6番・平山貴郎が左中間へサヨナラ打を放ち8対7で徳島商が逆転勝利を収めた。一方、久慈商は甲子園初白星をあと少しのところで逃してしまった。
1998年夏の準決勝、「平成の怪物」こと松坂大輔(ソフトバンク)を擁する横浜は明徳義塾と対戦。前日、PL学園との延長17回の熱戦を完投した松坂はレフトでの出場となる。
松坂に代わって先発した2年生左腕・袴塚健次は3回まで無失点に抑えるも、4回、5回と失点し降板。続く2番手の2年生・斉藤弘樹も追加点を奪われてしまう。
横浜打線は明徳義塾の先発・寺本四郎(元ロッテ)の前に沈黙。しかし、明徳義塾が6対0のリードで迎えた8回裏、横浜は寺本を攻略し4点を挙げて2点差まで詰め寄る。
そして9回表、3番手として松坂が登板。前日の疲れを感じさせない投球で3者凡退に打ち取る。松坂の登板によって、甲子園全体は一気に横浜へと流れが傾いていく。
9回裏、横浜は無死満塁から後藤武敏(DeNA)が2点タイムリー。ついに同点に追いつく。ここで明徳義塾は途中からファーストに回っていた寺本が再びマウンドへ。2死までこぎつけるが、途中出場の7番・柴武志がセカンドの頭上をフラフラと越える一打を放ち、7対6で横浜が劇的なサヨナラ勝ちを収めた。
勝った横浜は京都成章と対戦した決勝で、松坂がノーヒットノーランを達成。甲子園春夏連覇を最高の形で締めくくった。
文=武山智史(たけやま・さとし)