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八木裕、新庄剛志、濱中治……。 惜しかった阪神の“生え抜きスラッガー候補”たち


 今季は筒香嘉智(DeNA)が44本塁打を放ち、山田哲人(ヤクルト)も負けじと38本塁打。2名の日本人生え抜き打者が30本塁打をクリアし、鈴木誠也(広島)も29本塁打。「生え抜き大砲」が火を噴くシーズンとなった。

 この状況にヨダレが止まらない球団といえば、阪神だろう。

 実は阪神は楽天を除く11球団のなかで最も「生え抜き30本塁打」から遠ざかっている。1985年に掛布雅之が40本塁打を放って以降、なんと31シーズンにも渡って、30本塁打を超えた生え抜きはなし。

 広い甲子園といえど、やや寂しい結果だ。清宮幸太郎(早稲田実)への猛マークも頷ける。

 しかし、この31年間を見ると、あと一歩で30本塁打を逃した選手も多い。“ミスター・タイガース”に至らなかった「惜しい」レジェンドたちを紹介しよう。

八木裕(在籍:1987〜2004年)


【通算成績】1368試合:打率.247/126本塁打/479打点
【最高】28本塁打(1990年)

 現役晩年は「代打の神様」として存在感を示した八木裕だが、1990年に28本塁打、翌年は22本塁打、翌々年は21本塁打と3年連続で20本塁打以上を放っている。

 1990年の時点で25歳。まだまだ伸びしろは残っていたが、亀山努や後述の新庄剛志の突き上げに自身のケガも重なり、30本塁打達成はならず。


桧山進次郎(在籍1992〜2013年=写真)


【通算成績】1959試合:打率.260/159本塁打/707打点
【最高】23本塁打(1997年)

 1991年に東洋大からドラフト4位で入団した桧山進次郎。1996年に22本塁打を放って頭角を現した。当時の阪神で20本塁打以上を放った左打ちの選手は藤田平と掛布雅之のみ(助っ人を除く)。待望の「飛ばし屋」が現れたと評判になったが、いわゆる「大振り」で三振数も多く、確実性に欠いた。

 そのため、30代前半から中距離打者にシフトチェンジ。確実性を増した打撃で2度のリーグ優勝に貢献し、現役晩年は「代打の神様」に。球団史に残る選手となったが、本塁打王を含め、個人タイトルは無冠で終わった。

新庄剛志(在籍1990〜2000年)


【通算成績】1734試合:打率.252/225本塁打/816打点
【最高】28本塁打(2000年)

 かなり惜しかったのは「虎のプリンス」こと新庄剛志。高卒3年目の1992年に11本塁打を放ち、亀山努とともに「亀新フィーバー」を巻き起こした翌年も23本塁打。だが、こちらも桧山と同様、「当たれば飛ぶ」タイプで思いのほか本塁打数が伸びなかった。

 しかし、野村克也監督が就任して寵愛を受け、2000年には28本塁打をかっ飛ばした。いよいよ完全開花と思われたが、まさかのメジャー移籍。今や日本ハムのイメージも色濃いが、あの移籍がなければ、30本塁打もありえたかもしれない。


濱中治(在籍1997〜2007年)


【通算成績】744試合:打率.268/85本塁打/311打点
【最高】20本塁打(2006年)

 2000年代の大砲候補では濱中治が一番手に挙げられる。2002年には打率.301、18本塁打。2006年には打率.302、20本塁打。「うねり打法」で4番の座をつかんだが、同時に右肩のケガで幾度も離脱し、覚醒の機を逃した。


今岡誠(在籍1997〜2009年)


【通算成績】1309試合:打率.279/122本塁打/594打点
【最高】29本塁打(2005年)

 「変態的」とまで称された悪球打ち、バッティングセンスでファンを魅了した今岡誠も「30本塁打」というラインで語ると壁に阻まれたひとり。2003年に打率.340で首位打者を獲得すると、クリーンアップに座った2004年は28本塁打、リーグ優勝を果たした2005年には29本塁打、147打点という怒涛のクラッチヒッターになった。

 30本塁打も間近と思われていたが、2006年からは持病のバネ指が悪化して2ケタ本塁打はなし。ここにも30本塁打を阻む「甲子園の魔物」が現れた……。


文=落合初春(おちあい・もとはる)

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