センバツベストバウト!! 〜1990年代〜
今週21日の金曜日にいよいよ開幕する第86回選抜高等学校野球大会。14日には組み合わせ抽選会も行われ、対戦チームも決定。今大会、高校球児たちはどんな名勝負をみせてくれるのでしょうか。
“センバツ”の歴史を紐解き、味わい深いエピソードの数々を紹介するこのコーナー。第3回目は、その名勝負にクローズアップします。過去のセンバツ大会のなかから、後世に語り継がれる名試合を、その名も「センバツベストバウト」と題してご紹介。独断と偏見で決定した、ランキング形式で発表いたします。
もちろん、今年で86回を数えるセンバツ全試合を対象にしてしまうと大変なことになってしまいますので(ページ数が足りない!)、今週は1990年代の試合のなかから厳選して、名勝負とそのエピソードをお伝えします!
1998(平成10)年・第70回大会/決勝戦 横浜高3-0関大一高
―あのころ、君は若かった……
横浜高・松坂大輔と関大一高・久保康友のエース対決となった決勝戦は、横浜高が勝利し、センバツでは25年ぶり2回目の優勝を決めた。
この年度の横浜高はとにかく強かった。冬の明治神宮野球大会、春のセンバツ、夏の選手権大会、秋の国体、と全てで優勝を果たした。その原動力は、なんといってもエース・松坂大輔。この試合でも関大一高打線を4安打完封と、圧巻のピッチングを披露した。今年はニューヨーク・メッツへ移籍して2年目のシーズンを迎える。この大会で魅せた素晴らしいピッチングが復活することを願うファンは多い。
一方の関大一高のエースは久保康友。今シーズンからDeNAに移籍して新天地での活躍が期待されている。そして、決勝で対戦した横浜高にいた小池正晃(打撃コーチ)、後藤武敏と今シーズンから同じチームに所属するのは何かの縁か。
幾多の故障を乗り越え、復活を期すかつての怪物と、新天地でもうひと花咲かそうと頑張るベテラン右腕。松坂世代の戦いは、まだまだ続く。
1999(平成11)年・第71回大会/決勝戦 沖縄尚学高7-2水戸商高
―沖縄に初めて優勝旗が届いた日
かつては甲子園出場を果たすも、帰りの船で甲子園から持ち帰った砂を捨てざるを得なかった沖縄の高校が、ついに頂点に立った。
前日の準決勝・PL学園戦を延長12回で辛くも勝利した沖縄尚学高。エース・比嘉公也はその疲労のため登板しなかった決勝戦は2回表に2点を先制された。しかし、その裏すぐに追いつき、5回から7回まで連続得点。 最後は2年生の浜田政のホームランで、勝負は決まった。21世紀になる直前に、春夏通じて初めて、沖縄に甲子園の優勝旗が渡ったのだ。
1980年代後半から1990年代にかけて力をつけてきた“沖縄野球”がついに日本一にたどり着いた。そして近年では沖縄の高校が甲子園で上位進出するのが当たり前になってきている。
今大会でも優勝候補に挙げられる沖縄尚学高。当時のエースだった比嘉公也監督に導かれて、今年のセンバツでも頂点に立つことができるか、興味は尽きない。
▲監督としても選手としてもセンバツ優勝を果たしている比嘉公也監督
1994(平成6)年・第66回大会/1回戦 金沢高3-0江の川高
―キミは完全試合を見たことがあるか?
センバツ史上2度目の完全試合が達成されたのが、ちょうど20年前の66回大会のこの試合だった。主役は金沢高のエース・中野真博。ストレートとスライダーを織り交ぜ、時折みせるカーブも効果的に使い、江の川高打線を手玉にとるピッチングをみせた。
唯一のピンチだったのが、記録達成が現実味を帯びてきた9回表。先頭打者の当たりは中野と一塁手の間に転がり、2人は一瞬お見合い。しかし、一塁手が好判断で走者に飛びついてタッチアウト。難を逃れたのだった。たったの99球、フルカウントになったのは2回だけ。試合時間はわずか1時間28分と、文字どおり 「パーフェクト」なピッチングだった。
その後、中野は青山学院大に進学。社会人野球の東芝に進み2009年に現役を引退。現在は東芝で投手コーチを務めている。
1992(平成4)年・第64回大会/1回戦(開幕戦) 星稜高9-3宮古高
―ゴジラが甲子園を席巻!
この大会から甲子園名物ともいえるラッキーゾーンが撤去され、「高校生でホームランを打つのは難しい」と言われた。実際、前回大会の18本から7本と激減した大会でもあった。
そんな状況でも、レベルの違いをみせたのが、星稜高の4番・松井秀喜だった。開幕戦に登場した松井は、岩手・宮古高の元田尚伸から2打席連続で3ランホームラン。この試合で4打数4安打、7打点を記録した。ベスト8で敗れたものの、松井はこの大会で3本塁打を記録。その名を全国の野球ファンに知らしめた大会となった。
このときはまだ、夏の甲子園で起きる“事件”を予測する者は誰一人としていなかっただろう。松井の高校時代の代名詞となった「5打席連続敬遠」が起きたこの年の夏よりも、この大会のこの試合こそが、ふさわしいといえる。
1990(平成2)年・第62回大会/準決勝戦 新田高3-2北陽高
―死闘! 延長17回の激戦
大会前から注目されていた北陽高の大型右腕・寺前政雄と、予想外の快進撃をみせてベスト4に駒を進めた「ミラクル新田」の準決勝は、「死闘」と呼ぶにふさわしい一戦となった。
北陽高の2点リードで迎えた8回裏2死三塁。新田高の快進撃の立役者・宮下典明が値千金の同点2ランを放ち、試合は振り出しに戻る。そこからなんと延長17回まで試合は続き、最後は新田高の1番打者、池田幸徳のサヨナラホームランで死闘に終止符を打った。17奪三振の力投をみせた寺前は、自身が投じた238球目に力尽きた。
ドラマはこれで終わらない。この年のドラフトで寺前は1位、宮下は5位指名を受けてともにプロ入り。なんと、2人とも近鉄バファローズでチームメイトになったのだ。しかし、寺前はプロ入り後、持ち前のダイナミックな投球フォームを矯正されるなど、5年間ファーム暮らしが続く。1996年に初の1軍昇格を果たすも未勝利に終わり、1999年に阪神へ移籍。そのオフに受けたオリックスの入団テストも不合格となり、現役引退した。一方の宮下は1軍公式戦に出場することなく、1995年に引退している。
ともにプロ野球の世界では華々しい活躍ができなかった2人。しかし、当時のセンバツでみせた輝きは、いまでも多くの野球ファンの胸に刻まれている。
1990年代のセンバツを紹介した今回、いかがでしたでしょうか? ちなみに1位に輝いた第62回大会は、全31試合のうち15試合が1点差試合、延長戦は6試合、サヨナラゲームが5試合と、熱戦が目白押しの歴史に残る大会でした。
次回は2000年代のセンバツにクローズアップしますので、ご期待ください!
■ライター・プロフィール
鈴木雷人(すずき・らいと)/会社勤めの傍ら、大好きな野球を中心とした雑食系物書きとして活動中。“ファン目線を大切に”をモットーに、プロアマ問わず野球を追いかけている。Twitterは
@suzukiwrite
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