苦しい練習を乗り越え、ライバルとの競争を勝ち抜いた末に、プロ入りの切符をつかんだプロ野球選手たち。連載企画「小さな頃から規格外! プロ野球選手“ザ・怪童時代”」では、そんな野球選手が少年時代や高校時代に作った“怪童エピソード”を紹介していく。異能の男たちは、やっぱり小さい頃から規格外だった。
「世界の王」こと王貞治(元巨人)が、荒川博コーチと二人三脚で一本足打法に取り組んだのは余りにも有名な話だ。その荒川が王を見出したのは、プロ入り前にさかのぼる。
ある秋の日、王は隅田公園で行われた試合に参加していた。その姿を見かけたのが、当時、毎日オリオンズの現役選手だった荒川。すぐさま王の資質に一目惚れしたのだ。
その頃の王の身長は約175センチ。荒川は王のことを高校生と思い、自身の母校である早稲田大学へ進学を勧める。しかし、実はまだ中学生だった……。
そう、王は中学生ながら大柄な大人の体格の持ち主だったのだ。今でこそ170センチ台の中学生は珍しくないかもしれないが、1955年の平均身長は高校1年生で155.3センチ。175センチの王が高校生と勘違いされてもおかしくない。王は中学生の時から体格がすでに「怪童」だった。
また、王以外の“大柄の怪童”では、松井秀喜(元ヤンキースほか)も負けてはいない。保育園に入園したとき、8歳くらいに見えたと言われるほどの体格だった。その恵まれた体を生かし、少年時代は相撲や柔道でも力を発揮。柔道で国体強化選手に選ばれるほどの実力だった。
中学入学時に松井は野球を選んだが、もし柔道を選んでいたら五輪の金メダリストになっていたかもしれない。
夏の甲子園では春夏連覇を目指す大阪桐蔭が初戦を突破。注目の根尾昂は三塁打を含む2安打をマークし、存在感を発揮した。
根尾も中学時代から異彩を放っていた。スキーでも活躍し、全国中学校スキー大会・男子回転で優勝を遂げていることはよく知られている。一流の才能の持ち主は、ほかのスポーツでも好成績を残すことができるのだろう。
現役のプロ野球選手に目を向けると、3度目のトリプルスリーを目指す山田哲人(ヤクルト)もそうだ。野球を本格的に始める前はサッカーをやっており、得点王にもなったことがあるという。
山田は1992年生まれの26歳。サッカー界では武藤嘉紀、宇佐美貴史、柴崎岳、昌子源らと同世代だ。サッカーの道を選んでいたら、スピードを生かしたドリブルを武器にロシアW杯に出場していたかもしれない。
また、俊足が売りの阪神のルーキー・島田海吏は中学時代から足で魅せていた。ジュニア五輪では、後に日本人初の9秒台を記録する桐生祥秀に100メートルで先着した過去を持っている。近い将来に1軍昇格を果たし、そのスピードで全国の野球ファンを沸かせてほしい。
清宮幸太郎(日本ハム)にも東京北砂リトル時代の怪童エピソードがある。テレビ番組の企画で、当時、広島のエースだった前田健太(ドジャース)と対戦し、フルカウントから前田の投じたカーブをライト前に弾き返したのだ。小学生ながら前田の釣り球に手を出さず、緩い変化球に対応したのはさすがの一言。あれから時は流れ、前田はメジャーリーガーとなり、清宮はドラフト1位でプロ入りを果たした。2人の再対戦はおとずれるだろうか。
現在、浜松開誠館の非常勤コーチを務めている中村紀洋(元近鉄ほか)の高校時代も凄まじい。無名校といっていい公立校の渋谷で、2年時(1990年)に背番号「5」を背負い、夏の甲子園へとチームを導いたのだ。
当時の大阪は近大付、上宮、PL学園、北陽(現関大北陽)ら私立の強豪が競い合う時代だった。しかし、中村は1990年夏の大阪大会決勝・上宮戦で2打席連続本塁打を放ち、投手としてもマウンドに登るなどの大車輪の活躍。強豪私立の壁を破り、甲子園切符をつかんだ。
大阪の公立校が夏の甲子園に出場したのは、渋谷を最後に誕生していない。それが中村の凄さを物語っている。
このように、プロ野球の世界に入ってくる選手は子どもの頃から様々な怪童的エピソードを持っている。これが、“選ばれしプロ野球選手”の証なのかもしれない。
文=勝田聡(かつた・さとし)