創設当初は大日本東京野球倶楽部。1934年のアメリカ遠征時に「チームの愛称」があることを知り、遠征中に「東京ジャイアンツ」と名乗り出したのが起源。サンフランシスコ・ジャイアンツ(当時ニューヨーク・ジャイアンツ)をモチーフにした。遠征から帰国後、金鵄(きんし)勲章から名を取った「金鵄軍」の案も出た。鵄とは「トンビ」のこと。もし採用されていれば、巨人ではなくトンビと呼ばれていたかもしれない。ちなみにトンビは腐肉を食べる……。
1935年に命名。阪神電鉄の社員の公募により決まったものだが、大工業地帯であったデトロイトと阪神工業地帯のイメージを重ね合わせ、デトロイト・タイガースから。また、阪神電鉄初代社長の外山脩造氏の幼名が「寅太」であったことも一因ではないかと言われている。
1947年の愛称導入を機に命名。名古屋だけにシャチホコからの着想と思いきや、当時のオーナー・杉山虎之助氏の干支が辰年だったことから。本当はタイガースにしたかったらしいが、すでに大阪タイガース(現阪神)が存在していたため、ドラゴンズにしたという。
1949年にチームの発足に尽力した政治家・谷川昇氏が命名。広島城の別名「鯉城」から。その他にはブラックベア、レインボー、ピジョンなどの候補があった。
1950年の国鉄球団発足に際し命名。同年1月に改名した特急「つばめ」から。当時は東京-大阪間を7時間半で走る国鉄最速列車だった。
1993年に横浜大洋ホエールズから改名。ホエールズは大洋漁業の主力であった捕鯨から取ったものだが、会社名をマルハに変更するに際して、地域密着を推し進める姿勢を打ち出し、且つ、中部慶次郎オーナーが国内外の捕鯨の状況を鑑みて改名を決断。ベイ(湾岸)+スターズの「ベイスターズ」に決まった。「横浜ベイスターズ」時代は海外紙などで「横浜ベイ(湾)・スターズ」と勘違いされるケースも少なくなかった。
1947年に南海電鉄がグレートリング(近畿日本軍)を買収時に命名。南海電鉄の社章が車輪に羽だったことから、速さや語感を加味してホークスになったといわれているが、詳細は不明。当時、選手兼監督を務めていた鶴岡一人氏によると、はじめは南海コンドルズの予定だったが、球団社長の松浦竹丸氏の頭がはげており、「コンドル(ハゲタカ)はまずい」とホークスに変更したらしいが、これもジョークという説もある。
1951年の西鉄時代にファンの公募で決定。漫画家・手塚治虫氏の『ジャングル大帝』のレオが球団マスコットに採用されており、「ライオンズ=レオ=手塚治虫」のイメージもあるが、『ジャングル大帝』の連載開始は1950年11月で人気を醸成しているところだった。どちらかといえば、『ジャングル大帝』との関係は、西武が球団を買収してからの後づけである。
併合前の近鉄バファローズから。元は近鉄沿線・伊勢志摩の名産である「真珠」から取った近鉄パールスであったが、1959年に千葉茂氏(元巨人)が監督に就任。現役時代はセカンドながら「猛牛」と呼ばれたバイタリティーあふれる熱血漢で、ファンからの新愛称募集の結果、「近鉄バッファロー」に決まった。その後、近鉄バファロー、近鉄バファローズに改称。
1973年の球団買収に伴い公募で決定。応募数の1位は「ジャガース(ズ)」だったが、1952年から1954年にかけて阪神2軍が「大阪ジャガース」を名乗っていたことにより断念。語感やイメージ、日本語への訳しやすさを考慮した結果、応募10位の「ファイターズ」に決定した。
1992年に本拠地を千葉に移転することに伴いオリオンズから改名。本拠地・千葉マリンスタジアム(現ZOZOマリンスタジアム)や海のイメージからマリーンズ(海兵隊)に決まった。公募もされており、1位は「ドルフィンズ」だったが、頭文字が中日の「D」と被るという理由で選ばれなかった。
2004年の球界参入時に命名。東北地方に生息する天然記念物・イヌワシから。チームカラーのクリムゾンレッドは楽天の企業カラーから。三木谷浩史オーナーの母校であるハーバード大学、一橋大学のスクールカラーがクリムゾンレッドだったからという説が有力だ。
文=落合初春(おちあい・もとはる)