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長嶋語録、長嶋伝説は、永久に不滅です/『みんなの長嶋茂雄ラボ』最終回

「我が巨人軍は、永久に不滅です」
 あの言葉から、39年が過ぎた2013年、長嶋茂雄に国民栄誉賞が授与された。

「さあ、打ってやろう という気持ちでした」
「いい球だったら打っていたと思います」

 病に倒れて以来、久々にファンに向けて発した言葉の数々は、変わらず長嶋茂雄らしかった。

『みんなの長嶋茂雄ラボ』最終回は、野球ファンにとどまらず多くの影響力と伝説を残した数々の「長嶋語録」を振り返りながら、国民栄誉賞の意味を改めて考えます。

長嶋「モノ忘れ」語録

 息子・長島一茂を球場に忘れたり、家の場所を忘れてお手伝いさんに住所を聞いたりと、「長嶋と忘れ物」は「ボールとバット」ほど近い関係性であり、当然のように語録もたくさん残っている。

《ビートたけしを自らゴルフに誘っておいて、ゴルフ場で開口一番「あれ?たけしさんじゃない。今日誰とゴルフするの?」》
《試合後「車の鍵がない」と大騒ぎ。王をはじめ他の選手も一緒になって鍵探しをする中、「ごめん。今日は電車で来てたんだ」》

 長嶋が忘れっぽいのは「今、そこにあること」に集中しすぎるからではないだろうか。それは「来た球を打つ」という長嶋の打撃スタイルとも通じる。

 国民栄誉賞の始球式も、事前の申し合わせでは、主審を務める安倍首相へのケアもあって「空振り」することが確認されていたという。それでもボールを目の前にした瞬間、「打ってやろう」とフルスイングした長嶋茂雄の「らしさ」は健在だった。

ミスター・イングリッシュ語録

《「魚へんにブルー」と書いて鯖》
《失敗は成功の「マザー」》
《「I live in Tokyo.」の過去形を聞かれ「I live in Edo.」》……

 挙げればキリがない「ミスター・イングリッシュ」の数々。実際には長嶋が喋ってないものもあるらしいのだが、本人が特に否定もせず、むしろもっと不可思議な「イングリッシュ」を生み出してしまうため、伝説はさらに大きくなる。だが、そもそも海外生活の経験もない長嶋が、なぜこんなスタイルになったのか?

 《ついうっかり発言していろんな人を傷つけちゃいけない、誤解を与えちゃいけないと、言葉を選んでいたらあんな風な話し方になった》とは、長嶋本人から聞き出した大友康平の談だが、ここからは、天真爛漫で自らを「天才」「ゴールデンボーイ」と称する男とは違う思慮深さを感じることができる。

 松井が「長嶋監督に背中を押されなければ(国民栄誉賞は)辞退していた」と語っているが、実は長嶋の方こそ、松井の存在がなければ辞退していたのかもしれない。

そう考えると、今回の「師弟による二人同時受賞」にはやはり意味があったのだ。

文化人・長嶋語録

 第一次長嶋政権退任(1980年)後、野球界から距離を置いた長嶋は、その12年間で「世界」を目撃することになる。だが、相手が世界のスーパースターでも、長嶋節はむしろ勢いを増していく。

《マイク・タイソンを3年半追いかけるも、対峙した際に発する言葉は「ハーイ、シー・ユー・アゲイン」》
《世界のメディア関係者を前にして、臆面もなく「ヘイ、カール!ヘイ、カール!ヘイ、カール!」を連呼》

 さらにはキューバや韓国に来訪し、ローマ法王に謁見し、ワールドシリーズも観戦。
 こうして「世界レベル」を知った長嶋は次のような境地に達する。

《人と同じことをやっていてはダメ。常にパイオニア的な創意工夫でもだえ苦しみながら人のできないもの、やらないことからやりはじめる。(略)スーパースターは、そういう生々しいものを強烈に持ち合わせていた》(『野球は人生そのものだ』より)

 この「人と同じことをやっていてはダメ」という発想こそが、第二次長嶋政権における数々の「カンピューター采配」に結びついていくことになる。

監督・長嶋語録

 長嶋が監督として真価を発揮したのは1993年からの第二次政権であるだろう。

 最初のドラフトで松井を引き当て《松井・4番一千日構想》を立ち上げた長嶋は、その後も次々にメイ采配と「長嶋造語」を生み出していく。

 例えば、橋本清→石毛博史の必勝継投を銘打った《勝利の方程式》。今では野球界だけでなく、他の競技やビジネス界でも使われる一般用語だ。

 また、《メークドラマ》《メークミラクル》《メークミラクル・アゲイン》《ミレニアム打線》といった造語も立て続けに生み出し、《メークドラマ》は1996年の流行語大賞も受賞した。

 これらの言葉に共通するのは、選手のモチベーションを高め、潜在下に「勝てる」というポジティブな意識を植え付けていく、人心掌握術としての姿勢だ。

 また、数々の「長嶋造語」は非常にマスコミ受けが良かった。長嶋は新聞の見出しになりやすいワンワードを生み出す天才であり、名コピーライターの素養も持っていた。その力が野球人気再生の一助になっていたことも、疑いようがないだろう。

永遠のベースボールプレイヤー・長嶋茂雄

 以上、駆け足で長嶋語録を振り返ってみたが、こうしてみると「カタカナ」が多い、というのが特徴的だ。

 作家の石川好(いしかわよしみ)は、ここから「長嶋は戦後の日本において、最もカタカナの似合う日本人だった」と述べ、「戦後を具現化した男」であると論述している。

《長嶋茂雄は、例えば川上哲治が、あるいは青田昇がホームランを打っても“本塁打”でしかなかったのに比べて、彼のそれは明らかに“ホームラン”であり、彼の盗塁は“スティール”であり、彼の守備はフィールディングに僕ら日本人は見えたのである。はっきりいえば、川上や青田や藤村が、“野球人”であったとすれば長嶋は“ベースボール”プレーヤーであったのである》(『定本・長嶋茂雄』より)

 日本の野球をベースボールに進化させた男・長嶋茂雄。そして、その長嶋の教えを受けた松井秀喜が、海を渡って本場のベースボールに立ち向かい、ヤンキースの4番を務め、ワールドシリーズでMVPを獲得した……それはつまり、師弟2代に渡る壮大な「ベースボール大河ドラマ」だったのだ。この偉業と壮大な浪漫こそが、長嶋茂雄と松井秀喜の二人が国民栄誉賞にふさわしいことの証左になるのではないだろうか。

 最後にもう一度言いたい。

 長嶋語録、長嶋伝説、そして長嶋茂雄こそ永久に不滅であると。


<バックナンバー>
第1回:長嶋茂雄とは何だったのか?
第2回:長嶋茂雄と天覧試合
第3回:長嶋茂雄とマンガの世界
第4回:長嶋茂雄と松井秀喜〜巨人軍4番の系譜〜
第5回:メークドラマと長嶋茂雄 〜1996年付近の長嶋巨人〜

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