2年前、ぎこちなくシートノックを受けていた褐色の肌のやせた少年は、すっかり立派な体躯を備えた野球選手に変わっていた。
「ウエート(トレーニング)はしてないんです。ナチュラルパワーですね」
すっかり太くなった腕に驚く私に、流ちょうな日本語で話す笑顔の少年はサンホ・ラシーナ、17歳。西アフリカ・ブルキナファソから約13,000キロの距離を飛び超えてやってきた異色の「野球選手」だ。
国民のほとんどが1日1ドル以下で生活しているというブルキナファソ。現地での日本人による野球普及活動の中から選ばれて、四国アイランドリーグplusに練習生として受け入れられた。しかし、独立リーガーの一人であり、特別な高待遇を受けているわけではない彼を取り巻く環境は厳しかった。
「帰りたいけど、お金がないですから。国の家族や仲間にはインターネットで連絡してます」
2014年シーズン前に来日して以降は母国に帰らず、「プロ野球選手」になるため、日本に滞在を続けてきた。雨季と乾季しかない常夏の国から来た少年にとって、“冬”は初経験になる。
「とても寒かった。びっくりした!」
それもそのはず、ただの冬ではなく、彼が過ごしたのは、ブルキナファソで野球普及活動を始めた支援者がいる北海道・富良野だったのだから。しかし、雪で浮かれることもなく、寒さに萎えることもなく、ここでもラシーナはその支援者とともに練習を重ねた。
アイランドリーグの練習生受け入れ期間は2年。この期限が迫る今年の8月末に最終テストがあり、彼はこれに見事合格。ブルキナファソ人、初の「プロ野球選手」となった。
練習生から選手になっても「変わったことは特にない」というラシーナだが、公式戦の舞台に立つチャンスを得たのは大きいことだろう。
今シーズンの前期と後期の間に行われたオープン戦で、彼は実戦デビューを果たした。ホームの高知球場でのナイター。普段、閑散としているスタンドは野球ファンで埋まっていた。あの藤川球児の「凱旋試合」が、ラシーナのデビュー戦でもあったのだ。その試合で三塁手として出場する。
「それまでは試合に出たことなかったんですけど、出てみて、『ああ、これが試合なのか……』って初めてわかりました。緊張しましたが、自分の力は出せたと思います。バッティングも思い切り振れましたし、守備も動けました。ただ、やっぱり守備の方が怖いですね。最初にエラーもしてしまいましたし」
まだまだ課題は多いが、日本に来て確実にステップアップしている。数多くの観衆に見守られたデビュー戦でも、思い切りプレーできたというメンタルは頼もしい。
母国では学校を辞めてきた。日本でも高校には進んでいない。野球で身を立てる決心をもって日本にやってきた。覚悟はできている。目標はでっかくNPBだ。テレビで見ることが多いので、ソフトバンク、巨人が好きなチームだというが、獲ってくれるチームがあればどこでもOKだ。その後には、メジャーリーグも考えないことはない、というから夢は果てしなく広がっている。
ただ、現在、母国は政治的混乱が続いている。そのことは当然ラシーナの耳にも入っている。将来的にはブルキナファソで子どもたちに野球教えて、広めていきたい。しかし、大学を出てもなかなか仕事が見つけられないという母国で、スポーツ関係の職を得るのは簡単ではないことも十二分に理解している。だからこそ、いまはNPB、プロ野球への思いが強い。
「契約金もたくさんもらえるらしいですから」
まだ17歳。ラシーナの夢は母国・ブルキナファソの希望でもある。