新型コロナウイルスの感染拡大の余波で、史上初の中止が決まったセンバツ。昨年の秋季大会で好成績をあげ、一冬を越えて大きくなり、センバツ切符を獲得。さあ、いよいよと意気込んでいた球児、そして指導者の心中には複雑な思いがあるだろう。
今回は平穏な日常が戻ることを願い、来年の今頃、新緑のなかでセンバツが
開催される日を待ちわびながら、「センバツトリビア」をおおくりします。
高校野球の聖地といえば甲子園。もはや代名詞ともなっているが、春のセンバツは第1回大会を名古屋の山本球場での開催だった。
その理由は、先駆けて行われていた夏の選手権大会で近畿地区の高校が毎年決勝戦に進んでいたため、「好成績を挙げることと開催地は因果関係があるのか」という疑問を調べるためにあえて甲子園を外したと言われている(ほかには「東海地区のファン拡大」という目的も)。
結果は近畿勢として出場した3校がすべて2回戦までに敗退したことから、好成績の裏には「地元」の恩恵があったのかもしれない。しかし、そんな結果だったにも関わらず、第2回からは甲子園での開催となった。
1997年の第69会大会までは、開会式や閉会式の主催者の職員が担当していたが、第70会大会以降は前年度の「NHK杯全国高校放送コンテスト」の全国コンクール、朗読・アナウンス部門で上位に入賞した放送部の生徒(新卒生)が務めている。
ちなみに入場行進の順番は決まっていて、優勝校、準優勝校のあとは開催回数の下一桁が奇数の場合は南から北の順、偶数の場合は北から南の順でグラウンド内を行進することになっている。
センバツでは、1998年の第70会大会から選手に声援を送る応援団に対して「応援団賞」を設けている。出場校の初戦を対象に審査を行い、最優秀賞1校、優秀賞5校が選出され、最優秀賞に選ばれた学校は閉会式で表彰される。
過去に最優秀賞を2度受賞した学校は彦根東(滋賀)のみ。ちなみに先日亡くなった野村克也氏の母校・峰山(京都)は、第71回大会の初出場時に受賞している。
約15年前、「知らなかった情報に共感できたら『へぇボタン』を押す」という『トリビアの泉』なるテレビバラエティ番組があった。筆者は高校野球自体は好きなのだが、トリビア的なエピソードにはあまり明るくなかったので、この原稿を書くにあたってエピソードを調べながら、心の中で「へぇボタン」を連打していた。来年のセンバツの初戦は「応援団賞」の対象となるアルプススタンドも意識しながら観戦しようと思う。
文=森田真悟(もりた・しんご)