夢を叶えたい! そして、周りの人たちに夢を与えたい。
藤川球児のここまでの野球人生は、この夢を抜きに語ることはできない。
甲子園に出たい! プロ野球選手になりたい! ストレートで勝負したい! メジャーリーグで投げたい! 野球少年が抱く夢を藤川球児(阪神)はことごとく叶えてきた。
高知商業時代に甲子園出場、そしてドラフト1位で阪神タイガースに入団。藤川球児の夢は華々しく開けていくように見えた。
しかし、ファーム時代の藤川球児は、肩、ヒジに常に故障を抱えた線の細い投手だった。そこから、故障しない体を作るために、インナーマッスルから鍛え、必要以上の投げ込みを行わない、という調整方法で自分の体と向き合った。
体ができてきても、先発で結果が出ない藤川球児は、2003年オフ、戦力外の烙印が押される一歩手前までいっていたという。
「短いイニングならいける」
藤川球児の潜在能力を見抜いた岡田彰布監督(当時)がこの危機を救った。山口高志投手コーチの指導のもと、フォーム改造に着手。ストレートの威力は格段に増した。
2005年4月21日、東京ドーム巨人戦。7回裏、阪神が8点リードの局面で、巨人は2死満塁のチャンスを迎えた。
筆者は三塁側スタンドにいて、その時の光景をはっきり覚えている。
藤川球児がフルカウントから投じたボールはベース付近で沈み、清原のバットは豪快に空を切った。フォークボールだった。
仮に満塁ホームランだと4点差、当時の巨人の勢いからすると終盤3イニングでもセーフティーリードとは言えなかった。
明らかに清原がストレート狙いなのは見ていてわかったし、矢野燿大(当時は輝弘)のフォークの選択は正しかった。
しかし、藤川球児はこの時すっきりしない何かを感じていたようにみえた。試合には勝っても、勝負には負けた感があったのかも知れない。
翌日のスポーツ紙の一面は、清原の「チン〇〇ついとんのか」発言が躍った。
その後、藤川球児は、ストレート狙いの打者にも、ストレートで勝負できる投手に成長する。
「試合の勝敗よりも、好勝負を観に来てください」
試合の勝敗は、記録に残るが記憶は薄れる。しかし好勝負の瞬間は、いつまでも観ている人の記憶に残る。
野球の醍醐味はまさにそこにあり、それが夢を与えることにもつながる。これが藤川球児の想いだ。
昨年、独立リーグ・高知ファイティングドッグスに入団した球児は無報酬で契約。チケット売上の10%が、児童養護施設に寄付された。
「子どもたちに夢を!」いかにも藤川球児らしい復活劇であった。
そして来シーズン、再び縦じまのユニフォームを着ることが決まった。かつて火の玉ストレートで魅了した球児は、今度はどんな夢を魅せてくれるのか。
文=まろ麻呂
企業コンサルタントに携わった経験を活かし、子供のころから愛してやまない野球を、鋭い視点と深い洞察力で見つめる。「野球をよりわかりやすく、より面白く観るには!」をモットーに、日々書き綴っている。