ホークス史上最も長く背番号8を背負った選手は河埜敬幸だ。
南海入団2年目の1975年途中から背番号8を背負った河埜は、内野の要として活躍。1985年には1000本安打を達成。オールスターゲームにも4度出場した。
南海ラストイヤーの1988年は121試合に出場し規定打席に達していたものの、ダイエー元年の1989年は64試合の出場に終わり、同年限りで現役引退。以降はダイエー、関西独立リーグ・紀州レンジャーズ、高陽ワンダーズ(韓国)などの指導者を経て、現在は社会人野球・カナフレックスの監督を務めている。
ホークス一筋16年で選手人生を終えた河埜の後を継いで背番号8を背負ったのは岸川勝也。
1983年の南海入団時は背番号44だったが、ダイエー元年の1989年に26本塁打を放つと、和製大砲としての期待とともに背番号8を背負うことになる。期待に応え1990年と1991年にも20本塁打を放つが、その後はケガの影響もあり低迷。1994年のシーズン途中、トレードで巨人に移籍した。
1995年から背番号8を背負ったのは浜名千広。1996年にはショートで全130試合に出場。1999年は選手会長に就任し、チームの日本一の主力として貢献した。しかし、その後は出場数が激減。2001年オフに戦力外となり、ヤクルトへ移籍した。
2005年、浜名がチームを去った後、空き番号となった背番号8を4年ぶりにつけたのが江川智晃だ。
主軸候補として期待されたが、入団からの5年間での1軍出場数はわずか27試合(通算11年で297試合1軍出場、2016年時点)。2軍では活躍するもののなかなか潜在能力を発揮できず、今に至っている。背番号は2010年から43に変更となった。
その後、背番号8をつけた選手は誰か。ホークスファンでもその遍歴を完璧に答えられる人は少ないのではないだろうか?
2010年に背負ったのは李杋浩(イ・ボムホ)。前年の2009WBC韓国代表メンバーとして活躍。日本でも期待されたが、48試合に出場して打率.226、4本塁打と低調な成績に終わり、1年で退団となった。
2012年に背負ったのはペーニャ。4番を打つことも多く打率.280、21本塁打と活躍。ベストナインにも選出された。しかし、背番号を55に変えた2013年は不調で2軍暮らしが続き退団。その後はオリックス、楽天でプレーした。
2014年と2015年は鶴岡慎也が背番号8を背負ったが、2016年からは背番号33に変更。そして、今シーズンからは明石健志が13年間慣れ親しんだ背番号36に別れを告げ、背番号8を背負うことになった。
昨シーズンはケガで満足する成績を残せなかった明石。心機一転の今シーズン、背番号8を背負った明石の活躍を期待したい。
文=溝手孝司(みぞて・たかし)
札幌在住。広告代理業を営みながら、ライター、イベントなどスポーツ関連の仕事もこなす。生まれも育ちも北海道ながら、ホークスファン歴約40年。