狩野は前橋工業高校から2000年のドラフト3位で阪神に入団。捕手にしては足が速く、長打も打てるパンチの効いた打撃も、売りの選手だった。
捕手という経験を要するポジションゆえ1軍昇格までには時間を要したが、2006年にウエスタン・リーグで首位打者に輝くと、翌2007年には初の開幕1軍に抜擢。このシーズンは代打や代走要員で、ほぼ1軍に定着した。
しかし、2008年は矢野燿大の後釜として正捕手の座を期待されるも、右ヒジ手術の影響で出遅れる。
チャンスが回ってきたのは2009年。矢野が故障で開幕に間に合わず、1年を通して127試合に出場。
正捕手の座をつかんだかと思わせたが、この年のオフ、電撃的にメジャーリーグから城島健司が入団する。
このあたりから、狩野のツキのない野球人生がはじまる。
筋書き通り城島に捕手の座を奪われ、外野にコンバートされた狩野は、シーズンオフに椎間板ヘルニア除去手術を受ける。
それ以降、ヘルニアの再発を繰り返し、2012年のシーズンオフには育成契約選手に。もう後がない状態に追い込まれる。
2013年7月に支配下登録選手として復帰してからは、主に代打としてベンチで出番を待つ日々が続く。
狩野の捕手時代に、藤川球児が「狩野は捕手向きの性格をしている」と称したことがあった。
投手の女房役となるのが捕手というポジション。
投手への気遣いができてこそ、投手のいい部分を引き出し、乗せていける。狩野にはその部分が備わっているというのだ。
また捕手時代の狩野はタイムリーヒットを放ち、次の回、守備に就いたとき、ファンから「狩野コール」を受けると、必ず直立不動で頭を45度以上下げ、礼をするのが常であった。
これもファンへの気遣いを表すもので、この気遣いこそ狩野の真骨頂なのだ。
「代打はそんなに難しくない」は、試合に出続けるレギュラーの方が難しい、だから代打は難しくないと、レギュラー陣への気遣いを狩野風にいい表したものだ。
現在の阪神において、代打の切り札は狩野という認識になりつつある。
“代打の神様”と呼ばれた歴代の代打の切り札は、八木裕、桧山進次郎、関本賢太郎と続いてきた。
しかし、狩野にはまだその称号を与えられるだけの実績と信頼は、まだない。
ベンチでは常に若手選手や降板した投手に声をかけ、チーム全体の女房役も担う狩野。
そんな裏方稼業から、“代打の神様”として主役を張れる試合が増えれば増えるほど、阪神は強くなっていくことだろう。
“もう後がない!”を意味する、背番号“99”をつけた狩野恵輔・33歳。
ツキのない野球人生でこのまま終わるわけにはいかない。
文=まろ麻呂
企業コンサルタントに携わった経験を活かし、子供のころから愛してやまない野球を、鋭い視点と深い洞察力で見つめる。「野球をよりわかりやすく、より面白く観るには!」をモットーに、日々書き綴っている。