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《2016年プロ野球引退物語》最後までカッコよかったハマの番長・三浦大輔(DeNA)


 2016年ドラフト会議が終わって1カ月が経った。田中正義(創価大→ソフトバンク)、佐々木千隼(桜美林大→ロッテ)、柳裕也(明治大→中日)、今井達也(作新学院高→西武)…。新たに多くの選手がプロの門を叩く。

 その一方で現役を退く選手も多くいる。今年は黒田博樹(広島)、三浦大輔(DeNA)、鈴木尚広(巨人)ら記録にも記憶にも残る名選手たちがユニフォームを脱ぐ。

 週刊野球太郎では全5回に渡って「2016年プロ野球引退物語」を連載。今年限りで引退する5名の選手を取り上げ、彼らのプロ野球人生、記録などを振り返っていく。

 初回となる今回は「ハマの番長」の愛称でベイスターズファンから、そして他チームのファンからも愛された三浦大輔のプロ野球人生を振り返る。

横浜不動のエースへ。そして残留宣言


 まず、筆者の私はまだ23歳。プロ野球生活25年と、私の人生以上の期間をプロ野球選手として活躍した三浦のプロ野球人生について書くのはおこがましいかもしれない。だが自分も三浦は大好きな選手の1人だった。

 三浦がプロ入りを意識し始めたのは高田商高の2年時。2年夏の奈良大会で天理高と対戦した三浦は2ケタ奪三振を奪うも敗戦。その年の夏、天理高は甲子園で優勝。三浦にとっては大きな自信になった。

 甲子園出場を果たすことはできなかったが、1991年のドラフト会議で三浦は横浜大洋ホエールズから6位指名を受け、入団。当時の背番号は「46」だった。

 1992年10月7日、大洋のエースとして活躍した遠藤一彦の引退試合(巨人戦)で1軍初登板を果たした三浦。1993年には9月4日の広島戦で9回1失点と好投し、プロ初勝利を初完投で飾る。

 1995年から先発ローテーション投手として1軍に定着した三浦はこの年、初めて規定投球回に到達。8勝を挙げ、飛躍の1年となった。1997年には初の2ケタ勝利を挙げるなど、着実にステップアップする。

 1998年からはエースナンバー「18」に背番号を変更。この年は自身最多の12勝を挙げ、38年ぶりのチームのリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。

 その後も順調にキャリアを積み上げ横浜の不動のエースに。2004年にはアテネ五輪の日本代表に選ばれ、銅メダル獲得に貢献。翌2005年には最優秀防御率、最多奪三振を獲得。2006年には通算100勝、1500奪三振を達成した。

 日本を代表する投手となった三浦だが、他球団が三浦の獲得に動かない訳がなかった。2008年オフに三浦はFA宣言。三浦自身ファンであった阪神が獲得に動き、移籍濃厚とまで言われた。だが、三浦は「残留」を決断。

 残留宣言した会見で三浦はこう語った。

「高校時代も打倒天理、打倒智辯学園で甲子園に出たいと思ってやっていた。横浜は今年優勝から一番遠い位置だった。三浦大輔の原点は何かと考えたら、強いチームを倒して勝つこと。強いチームに勝って優勝したい」

 男気溢れる発言だった。

 当時の横浜は“暗黒時代”の真っ只中。優勝には程遠いチームだった。結果的には2009年以降のシーズンも最下位は5回。Bクラスが定位置となってしまった。

「いいチームになっただろ」


 ラミレス新監督を迎えた今季、DeNAは11年ぶりのAクラス、悲願のクライマックスシリーズ出場を果たした。

 その反面、三浦は衰えを隠しきれなかった。プロ野球新記録の24年連続勝利を目指すも、0勝。1軍登板もCS出場を決めた9月19日時点でわずか2試合。その翌日、三浦は引退会見を開いた。

 そして9月29日、横浜スタジアムで三浦の引退試合が行われた。三浦は先発するも6回1/3を投げ、10失点。最後の試合を勝ち星で飾ることはできなかったが、それでも三浦は試合後の引退セレモニーでこう言った。

「今は最高に気分がよく、『できることなら、このまま時間が止まってくれればな』と思っています。でも、チームはやっとクライマックスシリーズに出られます。どんどんチームが変わってきて、苦しかったときを乗り越えて、やっと『横浜DeNAベイスターズ、いいチームになっただろ』とみんなに自慢できます」

 その言葉は充実感に満ち溢れていた。投手陣では井納翔一、石田健大、今永昇太、田中健二朗、山崎康晃……。打線では今季本塁打、打点王に輝いた筒香嘉智、梶谷隆幸、倉本寿彦……。苦しい時代が続いたが、着実に投打ともに核となる選手が育ち、リーグを代表する選手になっている。

 その背景に三浦の存在があったのは言うまでもない。三浦は2014年から投手コーチも兼任。選手たちに常にアドバイスを送ってきた。三浦の引退試合では選手全員が三浦の背番号「18」をつけてプレー。チームの誰もが三浦を尊敬し、愛した。


ファン思い


 三浦はファンを大事にすることでも有名な選手だった。引退会見の際には引退を惜しむファンへのメッセージを求められると、目に涙を浮かべる一面もあった。

 野球ファンであれば選手のサインは欲しいもの。だが、オークションサイトを見ればサインの転売品が目立つ。これは頭の痛い問題だ。なかには転売されることを敬遠してサインをあまり書かなくなってしまった選手もいる。

 それに対し三浦は「自分のサインの価値がなくなるくらい書けばいい」とコメント。キャンプでは数百人のサインを求める列の最後までサインするという「神対応」を見せた。

 私も以前、球場で三浦からサインを貰ったことがあるが、その日は急いでいたにも関わらず、長蛇の列の前に立ち止まり、サインを書いてくれた。私にとってもとても嬉しい思い出の1つだ。

 リーゼント姿から一見強面に見えるが、他人に優しく、自分に厳しい。そして多くの人から愛された。まさに「カッコいい番長」の生き様を感じさせる三浦のプロ野球人生だった。


文=山岸健人(やまぎし・けんと)

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