養父氏は野球界を超えて、国を越えて、職種を超えて、いろんな人と会って、楽しく話す。そして、人生の転機で、培ってきた人とのつながりが“助け”になっている。ルーツベースボールアカデミー開校にも、人との縁が力になった。
「何かを始めようとする時に、いろんな仲間が手を差し伸べてくれる。ルーツベースボールアカデミーも、たまたま知り合いがバッティングセンターのオーナーと知り合いで、そこのデッドスペースを間借りさせてもらえたから開けたんです」
練習スペースはすべて手作りだ。養父氏の机が置かれた木造風アメリカンスタイルの事務所はコンテナを改造した。この作業も“手に職を持つ”仲間たちが手伝ってくれたという。また、運営するにあたっては、マイナーリーグ時代に培ったつながりも当然、生きている。
「うちのスクールでは、生徒たちを毎年、12月か1月にアメリカに連れていくんです。向こうではメジャーの球場の中に入れてあげたり、メジャーリーグのスカウトを呼んでトライアウトを受けたり。仲良くしているロッテの川越(英隆)コーチの子どもを、アメリカ時代にチームメイトだったホセ・コントレラス(元ホワイトソックスほか)の家に連れていったり。本当に子どもたちは喜びますね」
これも、養父氏だからできること。生徒の視野と可能性を広げるべく、養父氏の“ほかにない経験値”が一役買っている。
現在、ルーツベースボールアカデミーには低学年の小学生から中学生、そして大学生以上の生徒が通う。2018年度に向けて、9期生の募集を行なっているところだ。では、指導理念は何だろう?
「スポーツにとって大事なものは体のトレーニングです。子どもの頃は誰が教えても技術はすぐに上達します。でも、技術だけ詰め込んで、体作りを怠った子は、結果的にケガをしてしまう。だから、うちは授業時間の3分の2はトレーニングに費やしています」
運動能力に長けた体をしっかりと作る。おかげで、ルーツベースボールアカデミーで鍛えた小学校低学年の生徒の多くは、6年生になる頃には運動会でリレーの選手に。そして、野球チームに入ると4番かエースになるという。
また、試合中のグラウンドで必要な“強い気持ち”を養うために、陽気な養父氏らしいユニークな指導をしている。その舞台となるのはライブハウスで行うクリスマスパーティだ。ちなみに、第1話、第2話で触れたが、養父氏はギターを弾いて歌うのが大好き。マイナーリーグ時代も得意の歌で、チームメイトを楽しませた。ボーカリスト歴も長い養父氏に、その意図を聞いてみた。
「例えばステージに立つ子がピッチャーならば、マウンドとステージは同じ。つまり、ピッチャーとボーカリストは同じなんです。緊張するし、不安だろうけど、マウンドに立ったら、誰も助けてくれません。自分がリーダーとして勝負に挑まないといけない。そういう場面に子どもの頃から慣れておいてほしい。だから、ライブハウスのステージに立たせて、モノマネでも歌でもいいから、何かをやらせるんです」
次回の最終話で詳しく述べるが、2017年、養父氏は監督就任1年で四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックス(以下、徳島)を独立リーグ日本一に導いている。その背景には投手陣の激的な成長があった。昨秋のドラフト3位で徳島から西武に入団した伊藤翔、育成1位で中日に入団した大藏彰人らには「ピッチャーはひとり。マウンドに立ったら助けてくれる人はいない」と、常に言い続けた。
ライブハウスのステージに立ち、自分の頭で考えたことを実行する。そんな逃げ場のないところで発揮される勝負観が、マウンドでの孤独に耐える力に通じていくのは容易に想像できる。それを楽しみながら経験できるのは、“好きなことをずっと続けてきた”養父氏ならではの発想が生きた指導法だ。
近年、ルーツベースボールアカデミーOBからは菊沢竜佑(ヤクルト、2016年ドラフト6位)、田城飛翔(ソフトバンク、2016年育成ドラフト3位)と、2人のプロ野球選手が生まれた。菊沢は立教大卒業後、アメリカの独立リーグ、日本の軟式クラブチームを渡り歩きプロ入りを勝ち取った選手だ。プロ入りの夢を諦められなかった菊沢は、夢への途上で、ルーツベースボールアカデミーが間借りしているバッティングセンターで受付のアルバイトをしていた……。
養父氏が台湾でプロ野球人生を歩み出したのは27歳。菊沢がドラフト指名を勝ち取ったのは28歳。養父氏の波乱万丈な野球人生は種子を飛ばし、実を結び出した。
次回は養父氏の徳島での挑戦と、人生観を聞いていく。
(※文中一部敬称略、第4話・最終回に続く)
協力:日本プロ野球OBクラブ