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希少価値アリ!? あまり前例がない、外野手から内野手へコンバートした男たち


 今季で高卒3年目を迎えるオリックス・吉田雄人。北照高時代から俊足巧打の外野手として鳴らしてきたが、春季キャンプでは内野守備の練習を繰り返し行っている。

 安達了一の病気による長期離脱の影響なのは明らかだが、ここまで1軍出場のない背番号53にとっては大きなチャンスが到来した。

 投手から野手、内野から外野のコンバートは毎年のように敢行されており、それをきっかけに名プレーヤーに登りつめた選手も数多く存在する。

 しかし、吉田のケースは外野から内野へのコンバート。こちらは球界の歴史を紐解いても、あまり前例が見られない。そこで今回は、外野から内野へのコンバートを遂げた貴重な男たちを紹介しよう。


外野→内野コンバートの元祖・高田繁


 この手の話で真っ先に出てくるのは、現在DeNAのGMを務める高田繁。“塀際の魔術師”の異名を取るほど外野守備、とりわけクッションボールの処理に長けており、多くの打者走者を二塁で封殺。V9時代の巨人を支えてきた。

 転機が訪れたのは1975年オフ。長嶋茂雄監督1年目を最下位で終えたチームは、パ・リーグきっての強打者・張本勲(当時日本ハム)をトレードで獲得した。しかし張本の守るポジションは左翼のみで、高田と完全に被ってしまう。そこで、一計を案じる長嶋監督が閃いたのが「高田の三塁コンバート」だった。

 ダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)をこの年まで4年連続受賞中の名手のコンバートに、周囲からは反対の声が多く上がったという。それでも長嶋監督は『現役時代、俺の後ろにもうひとりサードがいる』と感じたほどの反応の速さを根拠に、コンバートを断行。高田も猛練習で応え、翌76年は転向1年目にも関わらずダイヤモンドグラブ賞を獲得。外野と内野の両ポジションで同賞に輝く初めての選手となった。


ロッテ・荻野貴司は学生時代に守ったショートへ。しかし…


 近年ではロッテ・荻野貴司が、外野からの内野コンバートを経験している。

 ルーキーイヤーの2010年、開幕46試合で25盗塁をマーク。その快足を武器に、2年目は当時のチームリーダー・西岡剛(現阪神)が抜けた遊撃を守る意欲を示していた。元々関西学院大時代は遊撃手として鳴らし、リーグ戦5度のベストナインに輝いた実績もある。つまり、荻野にとっては再コンバートであった。

 しかし、結論から言うとこのコンバートはわずか1年で頓挫した。2011年、荻野は開幕からショートのレギュラーに座るも、5月に疲労から来る右ひざのケガで戦線離脱。2度にわたる手術を行い、そのままシーズンを終えた。翌年からは再び外野手登録となり、それ以降内野を守ることは現状1試合もない。


コンバートで花開くか?


 吉田に話を戻すと、紅白戦・練習試合を通して遊撃を守り続けている(2月18日現在)。本人は『苦しいことや悔しいこともありますが、野球を始めたての時を思い出すようで楽しいです!』とポジティブに内野転向を捉えているようだ。

 もちろん慣れないことが多いだけに、すぐにモノになるかは難しいかもしれない。それでも飛躍のためにコンバートを受け入れ、努力を続ける選手を応援せずにはいられないのだ。

文=加賀一輝(かが・いっき)

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