ヤクルトにとって1970年は、1950年の球団創設以来初となる2ケタ勝利達成者がゼロとなった年だ。また、3割打者も不在。成績はもちろん最下位で33勝92敗(勝率.264)と散々だった。8月には、就任3年目の別所毅彦監督が解任され、球団史上ワーストの16連敗を喫している。いいところがまったくなかったシーズンとして記憶されている。
これを今季のヤクルトに置き換えてみると、同じく2ケタ勝利を挙げた投手はどこにも見当たらない。また、昨季は山田哲人(打率.304)、川端慎吾(打率.302)と3割打者が2人いたものの、今季は不在。投打の軸がいない状況は1970年と同様だ。
また、球団史上ワースト2位となる14連敗を喫し、3年目の真中満監督は8月に辞任を発表。まさに、47年前と状況がリンクしている。
このように今季は球団史に残る低迷ぶりを見せているわけだが、ここで諦めてはいけない。1970年シーズン終了後に行われたドラフト会議では、後の主力選手が続々と入団していたのだ。
1970年のドラフトは、前年の荒川堯(大洋、ヤクルトへの移籍を前提とした入団※)、谷沢健一(中日)、太田幸司(近鉄)といった大物アマチュア選手が不在のなかで行われた。
このとき、ヤクルトは会心の指名を行っている。3位でのちの「ミスタースワローズ」こと若松勉、8位で中継ぎの会田照夫ら1978年の初優勝時の中心メンバーを指名。また10位では、1978年だけでなく1992年、1993年の優勝時にも戦力となっている杉浦亨を獲得した。シーズンの鬱憤を20年以上かけて晴らすような会心の成果だったといえる。
今年のドラフト候補は清宮幸太郎(早稲田実)がプロ入りを表明したものの、昨年に比べると全体的には小粒というのが現状の評価だ。まさに1969年、1970年のドラフト前と同じような状況である。
1位指名が濃厚と噂される清宮を獲得し、神宮のスターに育てるのか。それとも、当時の杉浦のように下位指名から息の長い活躍をする選手が現れるのか。どちらにせよ今年のドラフトで獲得する選手たちが、今後20年にわたりチームの中心選手となることを期待したい。
歴史は繰り返すのであれば、シーズンだけでなくドラフトの成果も繰り返してほしいものだ。そうしないと、今のヤクルトには夢も希望もなくなってしまう。「夢や希望」は「最下位」を引き換えとするトレードオフだと考えよう。
今年のドラフトの答えがわかるのは20年後の2037年。その時には、筆者が週刊野球太郎で答え合わせをしたいものだ……。
※1969年のドラフト会議で、「巨人、ヤクルト以外はお断り」と明言する早稲田大のスラッガー・荒川堯を大洋が強行指名。当初、荒川は入団拒否の姿勢を貫くも、ドラフト指名選手との交渉期限が切れる直前の1970年10月に大洋と契約。これはヤクルトへのトレードを前提とした入団であり、荒川は金銭トレードでヤクルトに移籍。世間から大きな非難の声が挙がり、「荒川事件」として球史に名を残す騒動となった。
(成績は9月24日現在)
文=勝田聡(かつた・さとし)