山本昌、和田一浩、小笠原道大(ともに中日)、谷佳知(オリックス)、西口文也(西武)…。今年は例年以上に一時代を築いた選手たちの現役引退が相次いだ。そのような大物選手が現役引退する際に行われるのが引退セレモニー。
選手にとっては長年応援してくれたファンに対して、現役最後のあいさつを行う場として注目を集める。過去の引退セレモニーでは長嶋茂雄の「わが巨人軍は永久に不滅です」、原辰徳の「私の夢には続きがあります」といった、今でも語り継がれている名言も飛び出している。数多くの名選手の引退セレモニーの中から、その選手の個性が出た印象的な言葉を紹介する。
東映(現日本ハム)時代は張本勲とともに中軸を打ち1970年、1971年と2年連続でパ・リーグの本塁打王を獲得した。ヤクルト移籍後は1978年のチーム初優勝に主砲として大きく貢献。日本シリーズでも第7戦で2本塁打を放つ活躍でシリーズMVPを受賞している。その大杉はその後、1983年限りで現役引退を表明。両リーグ1000安打は同年に達成するも、両リーグ200本塁打にはあと1本を残しての惜しまれる引退だった。
翌年3月、引退試合となった巨人とのオープン戦。試合後に行われた引退セレモニーではこんな言葉を残した。
「最後にわがまま気ままなお願いですが、あと1本と迫っておりました両リーグ200本塁打。この1本をファンの皆様の夢の中で打たせて頂きますれば、これにすぐる喜びはございません」
また、引退発表の際には「さりし夢 神宮の杜に かすみ草」と一句を詠んでいる。豪快なイメージとは裏腹に、繊細な感性。「気は優しくて力持ち」を体現する選手だった。
その高い身体能力を生かした走攻守三拍子揃ったプレーで「メジャーに一番近い男」と呼ばれた。1986年日本シリーズでの本塁打を放った後のバック宙ホームイン、清原和博とのAK砲と常勝西武不動の3番打者として活躍。1994年のダイエー(現ソフトバンク)移籍後は、その後ろ姿で小久保裕紀ら若手選手をけん引し、長年Bクラスに沈んでいたチームを1999、2000年のリーグ連覇へと導く原動力となった。
引退試合となった2002年10月6日のロッテ戦後に行われた引退セレモニーでは、挨拶の最後に「これで野球選手を『卒業』します!」と「引退」ではなく「卒業」という表現を使い現役生活に別れを告げた。
細身の体から放たれる鋭いスライダーを武器に、1990年代後半から西武のエースとして君臨。通算200勝にあと18勝と迫りながらも、今年9月に引退を表明した。
西口で思い出されるのはノーヒットノーランや完全試合にあと一歩届かず、大偉業を逃すという不運さ。それは現役最後の登板となった9月28日のロッテ戦でも続いた。5回途中から登板した西口は井口資仁と対決。フルカウントから自慢のスライダーを投じるも、わずかに外れて四球に。そのまま大歓声を受けマウンドを降りた。