前回、「甲子園は無縁」
「超変革」を貫徹する金本知憲監督が惚れ込んだ男は強肩強打の内野手。持ち前の素直さと吸収力で大学時代に急成長を遂げたスラッガーは、今春リーグ新記録の8本塁打を記録。驚きのドラフト1位に至った。
「大学で全国から来たいろんな選手たちと出会って、自分の野球に対する意識や取り組み方が変わってきました」
そう大山が語るように、全国から集まった仲間との出会いも大きかった。特に大きかったのが、同期の外野手・龍幸之介の存在だ。
高校時代に憧れとしてテレビ観戦していた甲子園。そこで本塁打を放った龍(当時、九州国際大付)と同僚になり「うまい選手でも、ものすごく練習をやることを知って、自分もやらなきゃという気持ちになりました」と大きな刺激を受けた。
それからは、高校時代にあまり取り組んでいなかった自主練習を龍とともに始めた。全体練習前後に振り込みやティー打撃、ロングティーなど2人で行い、深夜24時前後に及ぶこともあった。
また守備では、三遊間を組んだ1学年上の堀米潤平(東芝)の影響も大きかった。「一歩目の動きや打球の読みがすごかったです。ヒットだろうというところに守っていたりするので、『なんでそこにいるんだろう?』と考えたり、すべてがお手本でした」と語る。
この守備の成長に驚いているのは、中学時代から大山の才能に惚れ込んでいた沢辺卓己氏(つくば秀英元監督)だ。
打撃や野球センスは当時から群を抜くものがあったが、「守備に関しては股が割れないところがあったので、大学では外野手になるのかなと思っていました」と振り返り、今の大山の姿に「我々の想像を超える努力をしてきた成果でしょう」と目を細めている。
人間的な成長も大きく、黒宮監督は「声が出るようになりましたね。最初に練習参加した時は全然出なかったのですが、今はチームで一番出しています。人間性は素晴らしいですよ」と以前に話していた。ただ、課題としては「もっと“悪い子”になってもいいのにと思います。“いい子”すぎてしまうので。人のよさはもちろん、いいところです。でも純朴で欲がなくて、ココで打ってやる! という気迫がまだ足りないですね。いい当たりしただけで、満足してしまうところがある。大学で終わ
る選手じゃないので、常に高みを目指させています」と語っていた。
ドラフトイヤーとなった今年、大山は目覚ましい活躍を遂げる。春季リーグ14試合で20本の安打を打ち打率.417、8本塁打20打点を挙げる大暴れ。本塁打はリーグ新記録、打点はリーグタイ記録だった。
6月には侍ジャパン大学代表の選考合宿に招集されると、宮台康平(東大)、黒木優太(立正大→オリックス2位指名)、笠原?太郎(新潟医療福祉大→中日4位指名)ら好投手から3日連続で安打を放ち猛アピール。守備でも、大学1年時からは見違える軽快な動きと、元投手らしい強肩を披露した。
代表監督の横井人輝監督(東海大)は、日米大学野球の代表選手発表会見の壇上で「大山君が非常に目立った活躍をしてくれました。右の長距離打者としてクリーンアップの一角を担ってほしいです」と、最大限の期待をかけた。
その期待通り、7月の日米大学野球では全試合で4番を担った。チームは3勝2敗で優勝を飾ったが、大山は5試合で2安打。悔しい結果に終わった。
それでも大山は、「やっぱり侍ジャパンというのは一つの目標だったので、嬉しい気持ちと同時に日の丸を背負う重みを感じました。勝つことが大前提ですし、お金を払って観に来ているお客さんがいる中で、みっともない試合はできません。国際試合独特の雰囲気もありますし、そういうものは本当に感じました。辛い試合ばかりでしたが、あの2週間は楽しく、ただただ勉強になりました。この経験は、これからの人生ですごく生かされると思います」と充実の表情で振り返る。
また同じ年代のトップ選手たちとグラウンド内外でともに過ごしたことによる刺激も多かった。「刺激を受けたことはたくさんあります。一つひとつの振る舞いやプレーのレベルが違う人たちばかりだったので、とても勉強になりました。例えば(東京)六大学の選手は寝る前と起きた後にスイングしていましたし、とにかく常に野球のことを考えている感じです
ごいなと思いました」
この経験をチームに持ち帰り、「自分が率先しなければいけない」と誓って臨んだ最後の秋もチームを引っ張った。本塁打こそ1本だったが、打率.349、13打点を挙げ、春に続き打点王となった。
迎えた運命の10月20日。大山悠輔の名前は、全体の6番目に、本人も周囲も予想していなかった阪神のドラフト1位指名として読み上げられ、会場からは驚きの声が漏れた。
熱狂的なファンを持つ球団の1位指名選手とあって、取材陣が殺到。「日常生活からガラリと変わったはず」と黒宮監督が話すように、これまでにない注目度の中で、明治神宮大会出場をかけた横浜市長杯に出場した。
初戦の横浜商科大戦では、第1打席で2ラン本塁打を放ち、勝利に貢献。だが、2回戦の中央学院大戦では、1死満塁から始まる延長タイブレークで空振り三振。チームは敗れ、大山は「みんなに恩返しができずに悔しい。プロで活躍して、これまで関わってきた人すべてに恩返しをしたいです」と涙を拭った。
大学4年間で1度もリーグ優勝できず、全国大会に進むことはできなかった。打点は多く挙げているが、ここ一番の試合の勝負強さは、持っている能力からするとまだ物足りない。
それでも、この4年間でNPB球団から最高の評価を獲得するまでになった急成長は、本人の努力と吸収力の賜物だ。阪神でも金本知憲監督らの熱心な指導を自らのものにして、成長していきたい。
4年前、ただのいち高校球児として「憧れ」で見ていた聖地・甲子園の舞台。その聖地に、4年の時を経て、ひと回りもふた回りも成長した姿で降り立つ。もともとミート力が高いため、さほど心配はいらないが、三振王になってもいいくらいに強く振り切るスイングを徹底していってほしい。そうして“怖さ”が増していけば、決め手不足のライバルにも勝っていけるだろう。
(※本稿は2016年11月発売『野球太郎No.021 2016ドラフト総決算&2017大展望号』に掲載された「28選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・高木遊氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。)