週刊野球太郎
中学、高校、プロ・・・すべての野球ファンのための情報サイト

第二十回 揺れ動く中学生の心と高校受験

 子どもを野球好きにさせるには? 子どもを将来野球選手にしたい! そんな親の思惑をことごとく裏切る子どもたち。野球と子育てについて考える「野球育児」コーナー。野球ライター“ハリケン”こと服部健太郎さんが実話を交えて、「野球と思春期と受験」について語ります。


長男が迎えた高校受験


 世は受験シーズン。我が家の長男・ゆうたろうも、先日、志望校を受験した。
 試験会場から戻ったゆうたろうに「結果はいつわかるん?」とたずねると、「あさって。学校に郵送されてくるらしい」とのこと。
「へぇ〜早いんやなぁ。テストの二日後にはもうわかるんか。ほんで試験はできたん?」
「まぁ、自分なりには出来た感覚はあるけど。あれ以上は今のおれには無理やわ」
 志望校は所属している硬式クラブチームと進路面談を重ねる中で昨年の秋に決めた。いわゆる、野球推薦という形の受験だ。
 家から通学可能な地元関西の高校を希望していた長男。夏場からいくつかの高校の練習を見学しにいったが、彼自身、「ここでやりたい!」と強く思えたのが今回受験した高校だった。
 「あの高校にいきたい」と懇願されたものの、その高校は、取材などをした経験のない高校で、私自身、予備知識があまりなかった。
 ちょうど秋季大会が開催されていた時期。淡路島へ車を飛ばし、その高校の試合を観に行った。試合後、球場の外で全体ミーティングが行われている場面にも、会話内容を把握すべく、他校の父兄のふりをしながら、聞き耳を立てた。きちんと競争をさせてもらえるチームなのかどうかが気になっていたのだが、ミーティングの内容から、チャンスがきちんと全員に与えられている様子が伝わってきた。野球の質も好感のもてるものだった。スタンドで応援している保護者たちの雰囲気もいい。私はその場で携帯電話を手に取り、「あいつがいきたいというなら応援してやろうかなと思ってる」と妻に連絡を入れた。
 あの日から約5カ月。あとは合格通知を待つばかりというところまでこぎつけた。
「これで落ちてたらどうしよう…?」
 突然妻がうろたえだした。
「おれも思っててん。これで落ちたらどうするよ〜って」
「周りの人たちは『もう受かってるようなもんやん』なんていうけど、一応、学科試験はあるんだから、なにがあるかわかんないわよね…。これがほかの家の子なら『なに心配してんのよ〜絶対に大丈夫だって!』って思えるんだけどなぁ」
「たしかに…」
「これで落ちたら親子面談が原因よ。あなたのせいね、落ちたら。父親の印象が悪かったとしか考えられないもん」
「なんでやねん。俺じゃなくて『あのおかんはちょっとうちの学校には…』っていわれてる可能性かてあるやろうが」
「それはないね。私は品行方正に振る舞ってましたから」
 夫婦喧嘩になりかけたその時、合格の知らせが中学校にいる長男より入った。

野球部に入ることが決まっているという事実


 その夜、息子が家に持って帰った入学手続き関連書類の入った封筒の中身を整理していた妻。
「制服とか体育館シューズとか体操服とかまた買わなあかんねんなぁ…。中学のをそのまま使えたらいいのになぁ」
 たしかに。めでたい日ではあるが、お金がかかる事実をあらためて思い知らされる書類の束に妻の口からはため息が続出だ。
「この書類はなんだろう。ユニホーム採寸日のご案内? 来週、試合用ユニホームの採寸するらしいよ」
「へぇ〜、入学手続き書類の中に、そんな書類も入ってるんだ!」
「こういうところで、一般の受験じゃなかったという事実を感じてしまうね。野球部に入ることが前提になってるんだもん」
「入学してから、『気が変わったので、バレーボール部に入ります』なんて言っても、許されないんやもんなぁ」
「そんなの許されるはずがないでしょ〜」
 所属している硬式クラブチームからは、「腕がもげても、肩がつぶれても、必ず3年間やり遂げてください。絶対にやめないでください。後輩たちの道を閉ざすことになりますから。チーム推薦で高校に行くということはそういうことです」と強く念を押されている。息子は「絶対にやめません」とチーム首脳陣の前で言い切ったが、はたしてどこまでの覚悟があるのやら…。
 妻は続けた。
「でもさ、去年の今頃って、一年後にこんな会話してるって想像できなかったよね」
 たしかにそうだ。ちょうど一年前、息子は「頼むから野球をやめさせてほしい」と泣きながら訴えてきた。チームの練習の想像以上の厳しさ、仲の良かった仲間の相次ぐ退部。地元の友達からの誘惑。周りは楽しそうな週末を送っているのに、自分は家から約100キロ離れた山奥のグラウンドでいったいなにをやってるんだろう。そんな思い、要因が絡み合ったのだろう。生活も荒れ、あまり評判の芳しくないグループともつるむようになっていた。

笑い話になる日がくることを願った日々


 しかし、親としては途中で投げ出すような子にはなってほしくない。自分たちのこれまで生きてきた経験上、ここでやめていいことなんかないとはっきり言い切れる。
 やめたい。高校でも野球なんかしたくない。そう訴える息子と「とにかくだまされたと思って、続けてみろ。絶対、将来おれに感謝する日が絶対来るから! 親には将来やめなきゃよかったって後悔してるお前の姿が見えるねん!」などと言いながら夜通し話し合った。あまりの態度の悪さに、取っ組み合いの喧嘩をした日もあった。
「とりあえず今日だけ頑張れ。今日だけなら頑張れるやろ?」というセリフを私と妻は数カ月言い続け、練習に必死で送り出した。
 妻は「大好きだったはずの野球を途中で放り出そうとするなんて、自分の育て方が悪かったのではないか」と自らを責めた。思い詰めた妻は少年野球チームに在籍している先輩母親たちに悩みを打ち明け、相談し、心救われるアドバイスをいろいろともらっていた。
 ゆうたろうの様子がおかしいと感じたチームのヘッドコーチは、息子の胸の内を聞き出し、最後まで続けろと懸命に後押ししてくれた。私は「チームにやめたいなんて言っちゃったのか…」と嘆いたが、思いを監督、コーチに吐き出したことで、ゆうたろう自身はずいぶんとすっきりしたようだった。
 チームの指導者からは「中学生といっても、まだ子どもなんです。心が不安定ゆえ、いろいろと揺れ動くものです。われわれも子どもがいるからわかります。うちの子もやめたいといっていた時期がありましたが乗り越えました。親御さんの気持ちもよくわかります」などと温かい言葉をかけてもらえた。
 春になる頃、息子は「とりえあず、中学野球は最後まで続ける」と言い出し、夏を迎えるころには「高校でも野球をやる」と言い出した。
 子どもの人生の大きな岐路だと思い、親として悩みに悩んだ時期は、今振り返ってみると、5カ月程だったのだが、当時は、これがいつまで続くのだろうと思うと、心休まる時などなかった。
「ほんと、あの時期を思うと、今日の合格通知なんて夢みたい」と妻。
「ゆうたろうはやめたいと言って、荒れ果てていた時期を今、どう思ってるんだろうなぁ?」
「こないだ、そんな話になったのよ。そうしたら、『おれ、あんとき、どうかしてたわ。まぁ中2病だったんじゃない?』ってえらく軽くまとめてたわよ」
「軽いなぁ。まぁ、でも笑い話になってよかったよな」
「あのとき、『今のこの悩みが笑い話になる日がきたらいいな』って本気で思ったもんね」
「ほんと思ったよな、それ」
 息子の中学野球の卒団式は2月24日。この日が迎えられる幸せを感じながら、ゆうたろうの中学3年間を労おうと思っている。



文=服部健太郎(ハリケン)/1967年生まれ、兵庫県出身。幼少期をアメリカ・オレゴン州で過ごした元商社マン。堪能な英語力を生かした外国人選手取材と技術系取材を得意とする実力派。少年野球チームのコーチをしていた経験もある。

記事タグ
この記事が気に入ったら
お願いします
本誌情報
雑誌最新刊 野球太郎No.32 2019ドラフト直前大特集号 好評発売中
おすすめ特集
2019ドラフト指名選手一覧
2019ドラフト特集
野球太郎ストーリーズ
野球の楽しみ方が変わる!雑誌「野球太郎」の情報サイト
週刊野球太郎会員の方はコチラ
ドコモ・ソフトバンク
ご利用の方
KDDI・auスマートパス
ご利用の方