1934(昭和9年)12月に結成された大日本東京野球倶楽部は、翌年の2月14日に初の米遠征のため横浜港を出発した。これは長期にわたって、現地のさまざまなチームと試合を重ねるという壮大なもの。結局、7月14日に帰国するまでに100試合以上を行い、75勝34敗1分という成績を残した。この遠征中に、現地の協力者であるフランク・オドゥールの提案で「東京ジャイアンツ」という仮の名前がつけられ、それが帰国後も定着し、現在のジャイアンツになっているのである。