プロ野球選手になれなくてもプロ野球に関わりたい。そんな思いを叶える仕事は、見回してみると実はたくさんある。週刊野球太郎ではそんな「プロ野球に関わるお仕事」に携わる人たちを直撃していく。
今回、登場するのはフリーの“実況アナウンサー”節丸裕一さんだ。
テレビ、ラジオ、インターネット放送とさまざまな中継スタイルがあるなかで、実況のスタイルに違いはあるのか? そもそも、どうやってアナウンサーになったのか? そんな疑問にじっくり答えてもらうとともに、節丸さんが考える「目指すべき理想の実況とは?」など、プロフェッショナルなこだわりについても話を聞いてみた。
野球中継が地上波から消えて久しい。ラジオを除けば、プロ野球中継の中核を担うのは、CS放送、インターネット中継であり、そこでマイクの前に座るのは、多くはフリーの実況アナウンサーたちだ。
試合展開を的確に描写しつつ、選手たちの取材エピソードや最新データも紹介。絶妙な間で解説者から話を聞き出したかと思えば、ここぞの場面では興奮した口調で試合の盛り上がりと臨場感を伝えてくれる“言葉のスペシャリスト”。
そんなフリーの実況アナウンサーのなかでも、代表的な存在として知られるのが今回話を聞いた節丸裕一さんだ。
シーズン中のプロ野球中継はもちろんのこと、CSフジテレビONEの人気番組『プロ野球ニュース』にも出演。メジャーリーグ中継も担当し、J SPORTSでのWBC決勝戦で日本代表初優勝の瞬間を伝えてくれたのも節丸さんだった。
「思い入れのある試合というのは一つに絞れませんが、WBC初優勝は試合に対する注目度、日本中の熱量といったことも含めて、思い出深いものはあります。前回の第4回WBCでは準決勝で敗れた試合を担当したんですが、侍ジャパンが負けるところを初めて実況したんです。それまで僕の担当試合は全勝だったこともあって、かえって記憶に残っています」
こんな大舞台を任される節丸さんだが、フリーアナウンサーになる以前は放送局勤務ではなく、まったく別分野のサラリーマンを経験。極めて異色の経歴を持つアナウンサーだ。
「大学卒業後は、味の素で5年ほどサラリーマンをしていました。そもそも、学生時代にもアナウンサーになろうという気持ちがほとんどなく、採用試験を受けたのも一局だけでした」
未経験から日本を代表するアナウンサーへ。その過程にはどんなキッカケとエピソードがあったのか? その経歴をたどると、野球実況に至る必然があった。
高校までは野球部に所属していた節丸さん。大学では「学生生活を謳歌したい」とアルバイトに精を出す日々。選んだのは文化放送スポーツ部でのアルバイトだった。平日は『ライオンズナイター』、土日は『ホームランナイター』でスコアをつけたり、資料をまとめたりテープを編集したり、といった仕事を担当していた。
「たくさんのアルバイトスタッフがいるなかで、ほとんどの人はスコアのつけ方を覚えるところからのスタート。でも、僕は野球部出身だったこともあってスコアのつけ方はわかる。記録なども知っている。ということで、すごく重宝されたんですよね。結果的に現場にも相当数行かせてもらい、球場でアナウンサーの横に座ってスコアをつけながら、ずっとプロの実況解説を聞いていました。結果的に、この経験は相当いい訓練になったと思います」
余談だが、節丸さんの当時のアルバイト仲間には、土井敏之さん(現・TBS)、松島茂さん(現・文化放送)、加藤暁さん(九州朝日放送を経てフリー)といった、現在各局で活躍する実況アナがずらり。日頃から「プロの実況を聞く環境」がいかに大事か、という証左ともいえそうだ。
「僕の場合、『アナウンサーになりたい』とは思わなかったんですけども、『いい実況をしてほしい』とは日々思うようになって、そのためには何が必要かを自分でも考えるようになるんです。たとえば、アナウンサーや解説者が『今日はコントロールがいいですねぇ』と言えば、スコアを見て《今日初めての3ボールです》とメモを差し出したり。意味のあるスコアづけをしよう、という強い気持ちはありました。今にして思えば、『実況アナウンサーとしてしっかり情報を伝えよう』という部分で、あのスコアラーの仕事は大きなきっかけになったのかなと思います」
大学卒業後、一度は味の素に就職した節丸さん。味の素だって、誰もが羨む一流企業だ。ただ、その仕事で得られる満足感は、普段から野球で得られる興奮や満足感には及ばなかった。
「ある時、気づいちゃったんですよね。仕事でどんな大きな案件を担当するよりも、野球中継を見ているときの方が満足感が大きいんです。自分の気持ちには嘘はつけないな、と。それに、一緒にアルバイトをしていた土井(敏之)がテレビで活躍していたのもひとつのきっかけですね。『土井でもできるんなら、俺でもできるだろう』と(笑)。いや、土井には大変失礼なことなんですけど、背中を押してくれたのかな、と」
一念発起し、味の素を退社。再び、文化放送でのアルバイト生活に戻ってスポーツの現場に触れる日々を送るようになった節丸さん。さらに、当時の携帯電話で人気だった音声ガイドサービスでの『スポーツニュース速報』で声の仕事にも携わるようになった。
「そこの社長さんが、『節丸くんは高校野球の地方大会で実況する気はない?』と声をかけてくれたんです。『地方大会のアナウンサーはあちこちで不足しているから紹介するよ』と。それがきっかけで、テレビ朝日を通して紹介されたのが新潟テレビ21での新潟大会の中継です。2000年の夏、これが僕にとってはじめての実況中継でした」
こうして、実況アナウンサーの道を歩みはじめた節丸さん。今ではプロ野球やメジャーリーグ中継など、“プロの中継”が主戦場だが、高校野球や大学野球など、アマチュア野球も数多く担当したという。
プロもアマチュア、メジャーも世界大会も、野球であればカテゴリーを問わず実況ができる節丸さん。実況をする上で、カテゴリーごとにどんな違いを意識しているのだろうか?
「高校野球でまず意識したことは、“これが最後の舞台かもしれない”ということ。負けた場合はもちろん、勝ったとしても、地方大会なんて次の試合で中継があるとは限りません。放送で名前が呼ばれる経験なんてもうないかもしれない。将来、子どもに『お父さんはテレビで紹介されたんだ』と自慢するかもしれないし、死ぬときまで自分が映ったテープを大切に残すかもしれない。だから、絶対に手を抜いてはいけない、という思いを持って実況していました」
では、プロ野球中継でマイクの前に座ったときに大切にしていることは?
「プロ野球であれメジャーリーグであれ、共通して思うのは、その舞台にまで登りつめたことに対する“リスペクト”です。たとえば、応援しているチームや選手が期待に応えてくれなかった時、人によってはネガティブな感情で選手を攻撃してしまう光景を見かけます。そんな時にこそ、『選手はどんなことを考えてプレーしているのか?』といったこともしっかり取材して伝えたいと考えています。選手たちの抱えるバックボーンも含めて、いろんなものをファンの人に知っていただいて、敵・味方関係なく選手をリスペクトしたり、『敵チームだけどこの選手は好き』と思ってもらえたらいいなと。そんなことを実況のなかに入れていきたいなと思っています」
こうした“選手と試合へのリスペクト”を大事にするからこそ、事前に言葉を用意したり、歌い上げるような実況はしたくない、というこだわりも教えてくれた。
「“決め台詞”みたいな実況って、僕は正直好きじゃないんです。第1回WBCの決勝も、実況を聴き直すと『ワールド・ベースボール・クラシック、初代チャンピオンは日本っ』といった感じで、シンプルに喋っているはず。なるべく言葉を短くして、僕の声よりも歓声を聞かせたい。実況アナの仕事というのは、ゲーム内容を理解したり、楽しんでもらうための助けに過ぎなくて、主役はあくまでも試合であり選手なんです」
伝えるべきは、実況アナの存在よりも、野球そのもの。だからこそ、近年複雑化する野球界の最新事情、采配面での狙いについて、視聴者の理解度アップにつながるような実況をしていきたいという。
「特にメジャーリーグは、セイバーメトリクス以降、野球そのものが目まぐるしく変わっています。守備シフト、フライボール革命、バレルゾーン、オープナー、ブルペンゲームなど新しい用語がどんどん出てきて、道具類だって進化しています。『チャレンジ制度』が数年後に日本で『リクエスト』として導入されたように、メジャーの潮流は数年後、日本球界にやって来ます。なぜそうなったのか? その潮流もたらす影響にはどんなことがあるのか? そんな情報も交えながら、ファンの人により野球の魅力を伝えられたら嬉しいですね」
取材・文=オグマナオト