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【いくつ知ってる!? 100回大会記念・甲子園100ネタ!】昭和の名投手編 本塁打でも歴代2位の投手とは?

文=落合初春

【甲子園100ネタ! 昭和の名投手】桑田真澄は本塁打でも歴代2位! 入札でプロ入りした優勝投手?
 今夏、100回目を迎える夏の甲子園。100回大会を記念して、これまでの甲子園の歴史から100のトピックスを厳選して紹介したい。

 第5回は昭和の甲子園を沸かせた名投手をピックアップ。

甲子園史に輝く昭和のエースたち


【41】怪物
 高校野球の“怪物”といえば、江川卓(作新学院・栃木、元巨人)だ。剛速球を武器に甲子園に乗り込んだのは、1973年春。いきなり、優勝候補の北陽(大阪、現関大北陽)を相手に19奪三振完封勝利を挙げると、準々決勝では今治西(愛媛)を20奪三振の1安打完封。準決勝で達川光男(元広島)などクセ者揃いの広島商(広島)に敗れたが、怪物ぶりをまざまざと見せつけた。

 同年夏は栃木大会3試合でノーヒットノーラン。凄みを増して甲子園に帰ってきた。1回戦では柳川商(福岡)を相手に延長15回を投げきり、23奪三振、2対1のサヨナラ勝ち。続く銚子商戦(千葉)では延長12回を投げたが、四球を与えてサヨナラ押し出し。0対1で敗れた。チームが打てれば……は、江川自身も語ってきた「if」である。

【42】怪物に投げ勝った2年生
 怪物・江川との延長12回の死闘を制したのは銚子商の2年生エース・土屋正勝(元中日ほか)。翌1974年夏の甲子園では初戦に1失点を喫したものの、2回戦から4試合連続完封で全国制覇。抜群のコントロールを武器に「江川を倒したこと」がマグレではないと証明した。

【43】奪三振王にして延長戦の申し子
 それまでは無制限だった延長戦に「18回」の規定を作ったのは、板東英二(徳島商・徳島、元中日)だ。1958年の春季四国大会、延長16回を投げた翌日に延長25回を投げ抜き、0対2で惜敗。板東の熱投が全国的に報じられると、過投が議論になり、その年の夏から延長18回の規定が設けられた。

 その規定変更の利を得たのも板東だった。同年夏の甲子園に出場した板東は、準々決勝で延長18回を引き分け、再試合。準々決勝の2試合で25奪三振の大活躍を見せた。通常よりも1試合多く戦った結果、決勝までの6試合で83奪三振を記録し、現在も1大会の最多奪三振記録として残っている。

【44】世界のホームラン王が持つ唯一の大記録
 春夏甲子園で35回記録されているノーヒットノーラン。その中で唯一の記録が延長戦のノーヒットノーラン。記録したのはのちに世界のホームラン王となる王貞治(早稲田実・東京)。1957年夏、2年生ながら寝屋川(大阪)を相手に大記録を打ち立てた。

【45】高校1年生でプロ入り!?
 1968年夏の甲子園でエースとして準優勝を果たしたのは新浦壽夫(静岡商・静岡)。定時制1年を修了後、全日制の1年に編入したため、実質的には2年生だったが、「1年生エース」として大いに注目を集めた。しかし、大会後に静岡商を中退し、巨人に入団。このとき、新浦は韓国籍であり、ドラフト会議にかけずに獲得できたため、大争奪戦が繰り広げられた。結果的に「日本の学校に所属する選手はドラフト経由」の“新浦ルール”が定められることになる。

【46】オール完投で春夏連覇
 1979年に春夏連覇を達成した箕島(和歌山)のエースは石井毅(現・木村竹志、元西武)。センバツから甲子園9試合オール完投で春夏連覇。特に夏の3回戦は甲子園史に残る星稜との延長18回の死闘を制しており、歴代で最も好成績を収めた“アンダースローエース”といえるだろう。

【47】ドラマチックな3度目の正直
 「砂塵が舞う」と形容される剛速球で「怪童」と呼ばれたのは尾崎行雄(浪商・大阪、現大体大浪商、元東映ほか)。2年時の1961年夏に全国制覇を果たすが、準決勝で対戦したのは、1年前の夏、同年のセンバツで2連敗を喫した法政二(神奈川)。当時の法政二はエース・柴田勲(元巨人)を擁し、夏春連覇を果たしている最強チームだった。3度目の対決は延長にもつれ込んだが、尾崎の粘投で延長11回、4対2で勝利。ドラマチックなリベンジに甲子園が沸いた。

【48】戦後初の優勝投手
 1946年夏、阪急西宮球場で開催された戦後初の夏の全国大会で優勝投手に輝いたのは平古場昭二(浪華商・大阪、現大体大浪商)だった。快速球を駆使し、準決勝では当時の大会記録である1試合19奪三振を記録。この活躍を新聞で見て、高校野球に興味を持ったのは作家の阿久悠。のちに自伝的小説『瀬戸内少年野球団』などの作品を生み出すが、平古場の活躍がなければ、これらの作品はなかったかもしれない。

【49】入札でプロ入りした男
 1953年夏、初戦から3試合連続完封を決め、延長戦でも土佐との延長13回の四国対決を制し、日本一に輝いたのは松山商(愛媛)の空谷泰(現・児玉泰、元中日ほか)。この好右腕の登場に色めきたったのはプロ野球界。各球団が交渉に訪れたが、特に空谷にはこだわりはなく、ドラフト制度もなかったことから、契約金の入札で球団を決めることに。最終的に210万円を提示した中日に入団することで決着がついたが、これに激怒したのは高野連。「入札は不健全だ」と事前に相談のなかった松山商に1年間公式戦出場禁止の処分を下した。

【50】甲子園通算20勝
 学制改革以降の甲子園で最多の20勝を挙げた昭和の大エースといえば、桑田真澄(PL学園・大阪、元巨人ほか)だ。清原和博(元西武ほか)とのKKコンビは一世を風靡し、2度の甲子園優勝、2度の準優勝、ベスト4が1回。20勝3敗というとてつもない成績を残した。また打撃でも歴代2位タイの甲子園通算6本塁打。当時は一部メディアから「クワちゃん」と呼ばれていた。

文=落合初春(おちあい・もとはる)

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