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誰もが認める野球殿堂入り! 90年代の大エース斎藤雅樹の名場面をプレイバック


 1月18日、2016年度の野球殿堂入りが発表され、競技者表彰のプレーヤー部門ではソフトバンク監督の工藤公康氏、巨人2軍監督の斎藤雅樹氏が選ばれた。

 斎藤雅樹といえば、槙原寛己、桑田真澄とともに1990年代の巨人投手陣を支えた「三本柱」のひとり。最多勝5回、沢村賞3回と、一時代を築いた90年代の大エースだった。

 特に右打者に対する外角へのスライダーで空振り三振を取る姿は、多くのファンを魅了した。通算180勝と、200勝の大台には届かなかったものの、その投球は今でも語り継がれている。

 そんな斎藤の印象に残る名場面を振り返り、改めて殿堂入りを称えたい。


「ミスター完投」、NPB記録の11試合連続完投勝利


 プロ3年目の1985年に12勝を挙げて脚光を浴びた斎藤。その後の3年間は伸び悩んだ時期となったものの89年、サイドスロー転向のきっかけを作った藤田元司監督が復帰すると、開幕から先発ローテーションに入る。

 ターニングポイントとなったのは5月10日、横浜スタジアムでの大洋(現DeNA)戦。7回まで好投を続けてきた斎藤は、8回に1点差とされ、なおも1死満塁のピンチを迎える。

 この場面で藤田監督はベンチから動かず、斎藤に運命を託した。斎藤はこのピンチを併殺打で切り抜けると、最終回を0点に抑えて3勝目をマーク。この一戦で自信をつけた斎藤は、完投勝利を重ね、5月30日の大洋戦から3試合連続完封と、圧巻の投球を見せる。

 そして7月15日、本拠地・東京ドームでのヤクルト戦。斎藤は完封で勝利し、鈴木啓示(近鉄)の持つNPB記録を塗り替える11試合連続完投勝利を樹立した。

 この年は20勝を挙げ8年ぶりの日本一に大きく貢献。巨人のエースとして認められることとなった。


「国民的行事」10・8で力投!


 斎藤が巨人のエースとしての矜持を見せたのが、「国民的行事」とまで言われた1994年10月8日の中日戦だった。

 どちらもシーズン最終戦、そして勝てばリーグ優勝という大一番。巨人は先発・槙原が2回途中で降板すると、2日前のヤクルト戦で先発した斎藤を中1日で投入する。

 無死一、二塁の場面でマウンドへ上がった斎藤は、見事なフィールディングで今中のバントを処理し三塁封殺。後続も抑えてピンチを脱する。

 すると直後の3回表に落合博満のタイムリーで巨人が勝ち越し。4回、5回と追加点を奪っていく。打線の援護を受けた斎藤は、右足内転筋の痛みに耐えながらマウンドに立ち続け、6回まで1失点に抑える好投で3番手の桑田にバトンを渡す。

 その後、桑田が無失点に抑え6-3で巨人が勝利。三本柱による投手リレーで、巨人がリーグ優勝を決めた。同時に斎藤は勝利投手となり14勝目を挙げた。


これぞエース! 3年連続の開幕戦完封


 斎藤は現役時代、エースの証明といえる開幕戦に5年連続を含む6度も先発投手を任されてきた。

 なかでも圧巻だったのは1994年から1996年にかけての3年連続開幕戦完封勝利。94年は苦手としている広島戦での登板だったが、プロ2年目の3番・松井秀喜が2本塁打。FAで移籍してきた4番・落合も本塁打を放ち斎藤を援護。斎藤は広島打線に付け入る隙を与えず、11-0の圧勝で、幸先良いスタートを切った。

 翌1995年のヤクルト戦では、さらにその投球に磨きがかかり、3安打完封の2-0で2年連続完封勝利を収める。そして1996年、得意とする阪神との開幕戦に臨んだ斎藤は、打者27人に対してわずか1安打に抑え、あわや完全試合という投球内容で9-0と快勝。

 1993年の開幕戦では7回2失点で勝利投手となっているため、開幕戦では4年連続で白星と、無類の強さを発揮した。

 続く1997年も開幕投手を任された斎藤だったが、ヤクルト・小早川毅彦に1試合3本塁打を許して敗戦投手となり、開幕戦の完封記録がストップ。それでも「開幕戦=斎藤雅樹」という印象は未だに強い。


文=武山智史(たけやま・さとし)

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