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【高校野球100年物語】そして、次の100年へ〜平成編


夏の甲子園の前身である「全国中等学校優勝野球大会」。今年の大会をもって、100年が経過したことになる。この100年の歴史を振り返り、激闘、印象的な選手、感動する話などを伝えるこのコーナー。今回は平成時代に起きた、印象的な出来事を紹介しよう。


〈平成時代/知られざる球場秘話〉
甲子園名物・ラッキーゾーンがなくなってわかったこと


甲子園球場において、かつてシンボルと称されたのが「ラッキーソーン」だ。1947年、甲子園を本拠地とする阪神タイガースの本塁打増を目的として設置されると、高校野球においても球児のパワーアップと連動するようにホームランを増やす一助となった。

そんなラッキーゾーンが撤去されたのが1991年12月5日のこと。その後、甲子園球場で最初の公式戦となったのが1992年のセンバツだった。プロよりも高校生こそラッキーゾーン撤去の影響が如実に出るだろう、という予想通り、この大会での本塁打数は前回大会の半数以下に激減。そんな中、大会初戦に登場して2打席連続本塁打を放ち、2回戦では2試合連続本塁打を放った人物こそ星稜の松井秀喜だった。ラッキーゾーンの撤去が「怪物」のスゴさをより明確にしたのは間違いない。

〈平成時代/世相・人〉
高校野球の光と影の象徴――特待生問題


1990年、ある通達が高野連から全国の加盟校に発せられた。それは日本学生野球憲章で禁じられている「スポーツ特待生」について、実施している学校は禁止するように、という内容だった。だが、当時は特に重要視されることなく、世間やマスコミでも騒がれることはなかった。2005年にも同様の通達が高野連から出されたが反応は変わらず。結果として2007年に「特待生問題」として高校球界を震撼させることになる。

プロ野球・西武ライオンズによる裏金疑惑に端を発し、入学金や授業料などが免除される球児の是非が問われた「特待生問題」。越境入学までして野球強豪校(もしくは強豪校を目指す新興校)に入ろうとする「野球留学」の問題とも絡み、世間からのバッシングも大きかった。高野連が全国調査を行うと、全国で約380校、8000人近い特待生の存在が明らかに。有識者会議を設置して検証を行なうなど、社会的な大問題にまで発展した。

だが、学業や経済的な理由から「特待生」の制度そのものは社会に必要不可欠だ。その中で明確な線引きなどできるはずもなく、今後も高校野球が抱え、議論し続けていかなければならない問題であることは間違いない。


〈平成時代/印象に残った勝負〉
3季連続の名勝負! あの死闘も生んだ・横浜対PL学園


1998年春から1998年夏、1999年春にかけ、3季連続で甲子園を沸かせた組み合わせが横浜とPL学園の対戦だ。特に1998年の春・夏の戦いは、横浜の春夏連覇や「松坂世代」の物語を語る上でも外すことができない。

最初の対戦は1998年春の準決勝。PL学園は稲田学と上重聡の2枚看板、一方の横浜は絶対的エース・松坂大輔(現ソフトバンク)の投げあいとなった。結果的には9回にスクイズでもぎ取った勝ち越し点を松坂が守りきり、3−2で横浜が勝利。横浜は次の決勝戦も制して、紫紺の優勝旗を勝ち取った。

2度目の対戦は1998年夏の甲子園・準々決勝、もはや伝説として多くの野球ファンが記憶している「延長17回の死闘」だ。横浜バッテリーのクセを見破ってリードするPL学園、追いかける横浜、という序盤の展開から、松坂が尻上がりに調子をあげて、後半は横浜ペースに。裏の攻撃であるPL学園も延長で2度も追いつく執念をみせたが、延長17回表に飛び出した2ランを松坂が守り抜いて横浜が勝利し、春夏連覇につなげた。

3度目の対戦は翌春、1999年のセンバツ1回戦で実現。追いつ追われつのシーソーゲームとなったが、前年の対戦を経験していたPL学園の田中一徳(元横浜)、田中雅彦(現ヤクルト)らの経験値が上回り、6−5で制して1998年度の雪辱を果たしている。


〈平成時代/時代を彩った高校〉
沖縄初の夏栄冠&春夏連覇を達成した興南


沖縄尚学が沖縄県勢初優勝を遂げたのが1999年センバツ。だが、その後も夏の甲子園で深紅の優勝旗をかかげる沖縄県勢はなかなか現れなかった。

その分厚い壁を打ち破ったのが2010年の興南だ。2009年も春夏連続で甲子園に出場したものの、春は延長10回に勝ち越され、夏は9回サヨナラ負け、と運に見放されての連敗を経験してから迎えたセンバツ。まず1勝を、と関西を下すと、智辯和歌山や帝京といった名門校を立て続けに打ち破って決勝戦に進出。日大三との延長戦の激闘を制して初優勝を達成。エース・島袋洋奨(現ソフトバンク)の好投が光った。

そして同年夏。春夏連覇というプレッシャーもかかる中、明徳義塾や仙台育英といった名門校を次々と一蹴。決勝戦では東海大相模を圧倒し、沖縄県勢悲願の夏制覇を達成。史上6校目の春夏連覇という偉業付きだった。エース・島袋は「沖縄県民と勝ち取った優勝です」と語り、県民の涙を誘った。


〈平成時代/世相・人〉
そして、次の100年へ


1915(大正4)年、「第1回全国中等学校優勝野球大会」としてその歴史をスタートさせ、今に続く「夏の甲子園」。「高校野球100年」という節目の年となった2015年の大会も連日甲子園球場は賑わいを見せ、清宮幸太郎を筆頭に新時代のスター選手も登場している。

だが、表面上の盛況とは裏腹に、問題は山積みだ。投手の酷使問題や真夏に行うことでの熱中症への懸念は、今や日本国内にとどまらず海外でも物議を醸し、批判を浴びるケースが年々増加している。

こうした批判を受け、高野連では「タイブレーク制」の導入なども試験的に実施。だが、野球という競技の魅力を損なうものとして、拒否反応を示す層も多い。ほかにも、繰り返される体罰や特待生・野球留学の扱いなど、クリアしなければならないテーマは多岐に渡る。

今後はこうした問題点に加え、少子化と野球人気の低下による「競技人口の減少」という大きな課題も待ち受けている。次の100年をどのように歩むのか? 高校野球ファン、関係者一人一人が問題意識を持ち、議論を重ねていく必要があるだろう。未来の球児たちが活き活きとプレーできる環境を、今を生きる我々が作り上げていかなければならない。

(文=オグマナオト/イラスト=横山英史)

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