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若い頃はとにかく力勝負でしたけど、40代からは投げる時の関節の使い方が年々変わっていきました

 前回は野球人生における大きな節目として、ケガや交通事故から復活を果たした2003年のメジャー復帰戦と、今年9月の引退試合とその前日の「明石家さんまさん1日コーチ」のエピソードを語ってもらった。では、NPBにおける忘れられない試合や対戦相手は誰なのだろうか?

「もう本当に……ひとつに絞れないほど思い出深い試合がたくさんあります。たとえば、1989年4月29日のプロ初先発、初勝利。その日から、まわりの見る目や環境もガラッと変わりましたからね。それと、その次の年の開幕第2戦で打ったサヨナラホームランも思い出深いです。なかなかピッチャーで打てるもんじゃないですから(笑)。

 反対に苦い思い出でも忘れられないものはたくさんあります。0−9で勝っていたのに、僕がリリーフで投げたところから一氣に逆転された試合もありましたし、1試合で満塁ホームランとサヨナラホームランを2本浴びたこともありましたね。

 それと1994年の「10.8」。シーズン最終戦で中日と直接対決をして優勝を決めた伝説の試合も、僕にとっては苦い思い出ですね。もちろん優勝自体は嬉しかったんですが、僕はあの試合でベンチ入リできませんでした。まぁ、いろいろありました」


 ここで話題に出たプロ初先発、初勝利の試合。そこで投げあった相手とは、今季のプロ野球で史上最年長記録を更新した中日の山本昌投手である。山本昌投手とは1988年、ともにアメリカ・フロリダに野球留学を経験したこともあり、勝手にライバル心を抱いていたという。

「昌さんは今年、49歳0カ月で史上最年長勝利投手を達成しましたが、そのニュースを聞いた時、素直に『悔しいな』と思いました。僕は引退するちょうど前々日に46歳になったんですが、46歳の僕はユニフォームを脱ぎ、49歳の昌さんはまだ現役を続ける。僕自身のデビュー戦では確かに投げ勝ってはいますが、結局、それ以外、昌さんを何1つ越えることができなかったのはやっぱり悔しいですよ。まあ成績を比べたら、それこそ昌さんの足元にも及ばない数字しか残せてないんですけど、僕も『最年長投手』と言われたかったなぁと(笑)。

 僕がプロ2年目のとき、昌さんと一緒にフロリダ・ステイトリーグで武者修行をしていました。でも、昌さんは一足先に日本から呼ばれて、その年にいきなり5勝を挙げて、日本シリーズでも先発してしまう、まさに憧れの投手でした。もちろん、今でも憧れているので、いつまでも続けてほしいな、という氣持ちもあります。でもその前に、どうしても悔しさが先に来ちゃうのは確かですね。

 あと、日本ハムの中島聡は、同じ1986年ドラフト組の同期入団。同期でまだ続けている選手がいるのに先に辞めるっていうのもやっぱり悔しいですね。でも、中島には兼任でも何でもいいから、登録されるんであれば、ずっと現役でい続けてほしい、という氣持ちもあります」


▲日本ハム在籍時(2010〜2012年)の3年間、中嶋とチームメイトとなったものの、残念ながら1軍でバッテリーを組むことはなかった。

 では、対戦したバッターの中で、思い出深い相手は誰なのだろうか?

「やっぱり落合(博満)さんかなぁ。1986年の年末、僕のジャイアンツ入団が決まって、はじめて『ズームイン!!朝!』に出演することになった日、落合さんのロッテから中日へのいわゆる“世紀のトレード”が決まり、急遽、落合さんも生出演することに。結果的に、はじめての全国放送だったのに僕の出番はほとんど削られてしまいました。そんな縁もあったので、『落合さんから三振を取りたいな』と思いながらいつも投げていました。でも、そう簡単に三振はとれない。もちろん、いつも三振がほしいと思って投げてはいたんですが、とりわけ落合さんから三振が奪えたときはやっぱり嬉しかったですね。特別な氣持ちになりました」

 『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』の中では、落合が巨人に移籍してきた後に話を聞いたところ、『お前が直球主体だったら俺は打てなかったぞ』といわれたエピソードも収められている。

▲巨人時代の落合博満(『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』より)

「だから、もっと真っすぐで攻めときゃ良かったなぁと思いましたね。あと、今春キャンプを訪ねた際、落合さんにお会いしたら『お前、最近になって横から投げるようになったけど、なんで昔からそうしなかった? おまえの体の動かし方は、絶対そっちのほうがいいだろう』と言われて。僕にしてみたら『えぇ!? なぜもっと早く言ってくれなかったんですか!?』という思いですよ。まあ、ピッチングコーチじゃなかったから言えなかったんだと思うんですけど。

 バッターとの対戦でいえば、若い頃はとにかく力勝負でしたけど、それこそ40歳代で迎えたファイターズ時代には、吉井(理人)コーチから『インチキ投法』って言われるくらい、どうやったらタイミングを外せるかばっかり考えて投げたりもしました。筋肉の鍛え方や関節の使い方も年々変わっていきましたけど、落合さんの『横がいい』という指摘をもっと早くもらえていれば、また違った野球人生を歩んでいたかもしれないですね」


(次週へ続く)

■プロフィール
木田優夫(きだ・まさお)/石川ミリオンスターズGM。1968年9月12日生まれ。東京都出身。1987年、日大明誠高からドラフト1位で巨人に入団。1998年、トレードでオリックスに移籍。同年10月にFA宣言し、日本人8人目のメジャーリーガーとしてデトロイト・タイガースに入団。その後は、オリックス復帰(2000〜2001)、ロサンゼルス・ドジャース(2003〜2004)、シアトル・マリナーズ(2004〜2005)、ヤクルト(2006〜2009)、日本ハム(2010〜2012)と、日米7球団を渡り歩く。2013年からは、日本の独立リーグ・BCリーグの石川ミリオンスターズに所属。「投手兼営業」「投手兼GM」の肩書きでプレーした。2014年限りで現役を引退した。

■ライター・プロフィール
オグマナオト/1977年生まれ、福島県出身。広告会社勤務の後、フリーライターに転身。「エキレビ!」、「AllAbout News Dig」では野球関連本やスポーツ漫画の書評などスポーツネタを中心に執筆中。『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』(新紀元社)では構成を、『漫画・うんちくプロ野球』(メディアファクトリー新書)では監修とコラム執筆を担当している。近著に『福島のおきて』(泰文堂)。Twitterアカウントは@oguman1977(https://twitter.com/oguman1977)

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