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代打でも勝負強さが光った本間満。打撃スタイルを変えるきっかけとなった王貞治監督のひと言とは?

代打でも勝負強さが光った本間満。打撃スタイルを変えるきっかけとなった王貞治監督のひと言とは?

 プロ野球のOBたちに現役時代のエピソードとユニフォームを脱いでからの第2の人生に迫る『プロ野球選手だった男たち 〜あの日々、そして第2の人生〜』。1人目のプロ野球OB(全4話連載)はダイエー、ソフトバンクで15年間に渡り“陰日向にチームを支えるプレー”を見せたユーティリティープレーヤーの本間満氏が登場。本間氏は王貞治監督(当時)が指揮を執った14年間をともにした唯一の選手としても知られている。

 現在、本間氏はリーフラス株式会社に所属。3歳から小学生までのちびっ子球児を指導する野球教室を中心に、野球界の裾野を広げるべく“野球の楽しさ”を伝える日々を過ごしている。取材に訪れたのは2018年1月。BBC(ベースボールコミュニケーション)に特別講師として招かれ、高校入学を間近に控えた中学3年生たちに神宮球場室内練習場で守備の指導を行っていた。第2話となる今回は勝負強さを見せた代打での打席を始め、打撃について語ってもらった。

 2006年には交流戦を追えて打率.319。首位打者争いに加わるなど、打撃でも存在感を発揮した本間満氏。2007年には代打で2試合連続本塁打。2007年、2008年は代打打率が3割を超え、打撃でも勝負強さが光った。2003年から安定して出場試合数を伸ばし、攻守で働きを見せた本間氏に“打撃”について聞いてみた。


何でバットを短く持つんだ?


―2003年と2004年の出場数が88試合、2005年が102試合、2006年が116試合、2007年が86試合と、2003年から安定して出場試合数が増えています。バッティングで勝負を決める場面も多く見られるようになりました。

本間 それにはきっかけがあったんです。王(貞治)監督から言われたひと言がそのきっかけでした。

―そのひと言とは?

本間 試合で打てなかったある日、王監督に監督室に呼ばれたんです。すると「何で追い込まれたら、バットを短く持つんだ?」と聞かれて。「いや、追い込まれたので……」と答えたところ、「だったら最初から短く持ったらどうだ」と。それからバットを短く持つようになりました。そのおかげで打撃がいいシーズンもありました。
 あと、バットを短く持つ中で「お前が使っているバットは短く持つのに適したバットじゃないから、俺のバットを使え」と言ってくれる先輩もいて。その方のバットを使ったら3安打。そんなこともあって、もうバットを長く持つことができなくなったんです。

―本間さんは、井口(資仁)さん(現ロッテ監督)、鳥越(裕介)さん(現ロッテヘッド兼内野守備走塁コーチ)、川崎(宗則)選手、本多(雄一)選手と常に、ずば抜けた力を持つ内野手に囲まれて、苦労を重ねながら生き抜いてきました。試合に臨む準備を大切にして(連載第1回参照)、王監督のアドバイスもあって、それが攻守に噛み合う時期がきたということでしょうか。

本間 うーん……。2000年くらいから気持ちの面で吹っ切れたんですよね。そこがターニングポイントでした。それまでは1軍と2軍を行ったり来たりで、ファームで4割くらい打っても、1軍に呼ばれない。それが本当に嫌になって。だったら、自分には実力がないんだからと開き直ってやるしかない。「打てなかったら、エラーをしたら……」とマイナスのことを考えてプレーしても駄目。つまり、「駄目だったらしょうがない」と吹っ切れたわけです。

10割バッターであることを求められる代打


―そのように吹っ切れたことがバッティングにもいい効果をもたらしたのでは? 守備の人だと見られていた本間さんに、代打での勝負強さが目立つようになりました。

本間 それはねえ……ある時期からは、生き残る術が代打にしかなかったから(笑)。でも、代打って本当にしんどいんですよ。「代打にいけ」ということは、毎回、チャンスで「打ってこい」っていうことですから。ただ、それが嫌なら、毎試合4、5打席に立てるレギュラーになれという話です。

―代打は10割バッターであることを求められる……

本間 しかも、相手は確たる抑えのピッチャーがほとんど。分が悪いけど、開き直っていくしかない。だから、相手ピッチャーの情報を得ることも必要ですが、まず気持ちだけは負けたら駄目。そうするうちに核になる自分の軸ができていきました。

―気持ちを強く保った上で、代打で打席に立つ時の決め事は?

本間 配球はある程度聞くだけにして、あとは「よし!」と勝負する。配球にとらわれすぎると、狙ったボールがこなかった時点で終わりですからね。その上で「振れる!」と思ったファーストストライクから絶対に振ると。ただ、本当にしんどかったです。過度なプレッシャーがかからないように心掛けていたんですけど、吐き気をもよおすことも多くて……。

―2時間以上ベンチに座っていて、ここぞの場面で「打ってこい」と起用されるわけですから……。極度の緊張の一方で「俺を出せ!」という気持ちは?

本間 それはそう思わないと。だって、1打席だけど「ここで打ったらヒーローになれる」という巡り合わせでやってきた場面じゃないですか。自分にとってプラスのことを探していかないと、きついだけですからね。
 だから、そういう場面で使ってもらえる選手でいるために、調子を上げて、王監督にアピールして、試合で結果を出さなければと思って、常に練習していました。バッティングピッチャーに、試合のようにストレートと変化球をミックスで投げてくれと注文をしたり。


ヒーローになってこいよ


―本間さんの代打での名場面といえば、2008年の楽天との開幕カードの2戦目。延長11回、2死満塁カウント2-2からセンター前にサヨナラヒットを放って、試合を決めました。

本間 はい、はい(笑)。でも、あの時の巡り合わせは自分のせいです。開幕戦はスタメンだったのに打てなくて、2戦目はベンチスタートになったという話ですから。ただ、あそこで自分がベンチに残っていたのは、使い勝手がよかったからでしょうね。「あいつだったら、守備、代走、代打で使えるから最後まで残しておけば……」という考えがベンチにあったんだと思います。本当に運ですね。

―では、ご自身で思い出に残っている代打は?

本間 2007年の鷹の祭典。ロッテ戦です。マウンドにいたのは小林宏之。打席に向かう時、王監督から「ヒーローになってこいよ」と言われたんです。で、必死に食らいついていったら、サヨナラタイムリーを打てて。あの打席はすごく印象に残っています。

(※文中一部敬称略 第3回に続く)

協力:日本プロ野球OBクラブ

代打でも勝負強さが光った本間満。打撃スタイルを変えるきっかけとなった王貞治監督のひと言とは?

■プロフィール
本間満(ほんま・みつる)
元ダイエー、ソフトバンク。内野手・右投左打。1972(昭和47年)8月25日生まれ、北海道留萌市出身。駒澤大学附属岩見沢高、駒澤大を経て、1994年のドラフト3位でダイエーに入団。内野のユーティリティープレーヤーとして攻守に渡って貢献。2009年にソフトバンクを退団した後、BCリーグ・石川ミリオンスターズに1年間在籍。解説者などを経て、現在はスポーツスクールを運営するリーフラスに所属し、子どもたちへの野球の指導に勤しんでいる。

取材・文=山本貴政(やまもと・たかまさ)

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