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《名監督列伝》前田三夫(帝京)と我喜屋優(興南)。道は違えど「なるべくしてなった」甲子園優勝監督

2017-07-25(火)12:00

《名監督列伝》前田三夫(帝京)と我喜屋優(興南)。道は違えど「なるべくしてなった」甲子園優勝監督

 高校野球監督とは甲子園に人生を捧げ、数奇な運命を生きる男たち。己のチームを作り上げ、地元のライバル校としのぎを削り、聖地を目指して戦い続ける。

 週刊野球太郎の7月連載では『高校野球 ザ・名監督列伝』と題して、4週に渡り16人の監督をピックアップ。

 最終回となる今回、トリを飾るのは帝京の前田三夫監督と、今夏、甲子園一番乗りを決めた興南の我喜屋優監督だ。

(以下、文中一部敬称略)


■前田三夫(帝京)

 1972年に帝京大を卒業する同時に帝京高の監督に就任した前田三夫。野球部をスパルタ指導で選手を鍛え上げ、それまで東京大会ベスト8が最高成績だったチームを甲子園常連校へと押し上げた。

 甲子園での戦績は春夏通算26回の出場で51勝23敗。優勝春1回、夏2回。「東の横綱」と呼ばれるにふさわしい成績を誇っている。

◎猛練習のなかで培われる「帝京魂」


 帝京といえば厳しい練習が代名詞。これは監督就任時に「甲子園に行こう。俺が連れていってやる!」とあいさつしたところ、選手たちから笑われてしまったことで、「あのあいさつは本物なんだ」と示すために始まった。

 しかし、甲子園出場を夢にも思っていなかった選手たちとん温度差は歴然。ビシバシとやり過ぎたせいで30人いた部員が次々と辞め、4人に。早速、ピンチに陥ったという。

 そんな状況にもめげずに猛練習を続けた結果、1978年のセンバツで甲子園初出場を果たすと、1980年のセンバツで準優勝。「東の横綱」と呼ばれる強豪校になり、1989年の夏の甲子園で悲願の優勝を成し遂げた。

 これまでに伊東光昭(元ヤクルト)をはじめ芝草宇宙(元日本ハムほか)、吉岡雄二(元近鉄ほか)、奈良原浩(元西武ほか)、森本稀哲(元日本ハムほか)ら多くのプロ野球選手を排出。

 現在でも中村晁(ソフトバンク)、杉谷拳士(日本ハム)、原口文仁(阪神)、山崎康晃(DeNA)らが現役で活躍している

 帝京野球部OBのとんねるず・石橋貴明がテレビ番組で頻繁に「帝京魂」と叫んでいるが、猛練習を耐え抜いて生まれる根性は、プロ野球人生でも芸能界でも大いに役立っているようだ。

◎食べることも大事なトレーニング


 近年は「食育」が重要視されているが、前田監督は30年以上前から食事によるパワーアップを実践。

 「体づくりをするには筋トレだけでダメ。食べることも大事」という持論のもと、「三合飯」という名で昼食に3合のお米を食べることを選手に課している。この帝京名物となった「三合飯」はそうとうハードなようで、山崎康は最近のインタビューで「つらかった」と、懐かしそうに振り返った。

 実際、「食べるチームは甲子園でも結果を出す」という前田監督の持論の通り、帝京の選手は屈強な体から長打や鋭い打球を飛ばしてきた。そして、食育が当たり前になる以前から、帝京の選手の筋肉質で太い体格からは目を見張る威圧感が漂っていた。三合飯の効果は間違いない。

(※編集部注 7月23日、帝京は東東京大会準々決勝で東海大高輪台に延長10回、3対4で敗退)


■我喜屋優(興南)

 1968年夏、興南の4番・主将として出場した甲子園に出場した我喜屋優。当時、春夏合わせて1勝しか挙げられていなかった弱小県の沖縄勢にあって、ベスト4進出という快挙を達成。卒業後は、社会人野球でも都市対抗野球に出場するなど活躍。我喜屋は興南の歴史において「伝説のキャプテン」と呼ばれていた。

 興南は1980年代前半には甲子園の常連校になるも、その後は低迷。そこで、強豪復活へ向けて白羽の矢がたったのが我喜屋だったのだ。

 我喜屋は2007年に興南の監督になるやいなや、その年の甲子園に早速出場。そして就任3年目の2010年、「琉球トルネード」島袋洋奨(現ソフトバンク)をエースに据えたチームで史上6校目の甲子園春夏連覇を達成。高校野球界きっての名伯楽となった。

 その後は4年ほど聖地から遠ざかるも、2015年の夏に甲子園出場。勢いを盛り返すと、今夏の沖縄大会決勝では新興勢力の美来工科を15対1で一蹴し、2年ぶりの甲子園出場を決めた。興南旋風の再来を期待するファンは多い。


◎遅咲きの監督がもたらした甲子園の優勝旗


 我喜屋は興南の監督になって今年で11年目。高校野球の監督歴はそう長くない。

 先述したように、興南卒業後は大昭和製紙を経て大昭和製紙北海道でプレーし、都市対抗に出場。現役引退後は大昭和製紙北海道とその後進クラブチームの監督を務め、30年以上に渡って北の大地で野球に携わっていた。

 この北海道時代には、駒大苫小牧の監督(当時)・香田誉士史が教えを請いにくるなど、雪国のチームの勝たせ方を熟知する名将として名を馳せていた。

 復活を期す興南にとって我喜屋は「最後の切り札」だったのだろう。興南の未来は我喜屋の手腕に託された。そして、我喜屋が就任時に誓った「母校に優勝旗を」という願いは、その4年後に実現した。

 ちなみに2007年に興南を24年ぶりの甲子園に導いたときは、甲子園の戦い方のノウハウがなかったため、逆に、北海道初の甲子園優勝を成し遂げていた香田にアドバイスをもらったという。


◎「なんくるないさ(なんとかなるさ)」からの脱却


 また我喜屋監督は、「なんくるないさ」の精神で「なぁなぁに」なりがちな沖縄気質をよしとせず選手に接し、整理整頓・時間厳守といった生活面から変えていった。

 それは2010年春のセンバツ優勝の翌日、選手たちを集めて「次の花を咲かせるための根っこづくりをしよう」と話したことからもうかがえる。

 お祝いムードに満たされて終わってしまうのではなく、また次の栄光を目指して動き出す。これは沖縄を出て、厳しい風土に耐えなければならない北海道で戦ってきた我喜屋だからこそ、言うことができた言葉だったのかもしれない。


◎なるべくしてなる高校野球の名監督


 1949年生まれの前田監督、1950年生まれの我喜屋監督。年齢は1歳しか違わなくても、高校野球監督として歩んできた道のりは真逆と言っていいほど異なる。

 しかし、両監督とも甲子園で優勝。名将となったのだから、人生はわからない。

 一筋で突き進むことのよさ。真逆のことを経験することのよさ。それぞれに得ることがあり、2人はなるべくして優勝監督になったように思える。


文=森田真悟(もりた・しんご)

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