週刊野球太郎 野球の楽しみ方が変わる野球サイト

来季、浅村栄斗で背番号3が復活! 西武・高卒野手の1ケタ背番号変更の系譜


 西武・浅村栄斗の背番号が入団以来背負ってきた「32」から、来シーズンより「3」に変更されることが先日発表された。

 西武の背番号3といえば前身の西鉄時代には大下弘、西武になってからも土井正博、清原和博、中島裕之(現・宏之/オリックス)と「チームの顔」というべき選手たちがこれまで背負ってきた。

 浅村は初タイトルとなる打点王を獲得した2013年オフ、背番号3への変更を球団に直訴するも「もう1年、結果を残してから」と見送られた過去がある。あれから3年、打率.309(リーグ2位)、24本塁打、82打点と結果を残し、ようやく背番号3を勝ち取った。

 西武にはこれまで1ケタの背番号に変わったことで、大きく飛躍を遂げた高卒野手が多く存在している。今回はそれらの選手を振り返ってみたい。

秋山幸二(背番号24→背番号1)


 1980年、秋山幸二がドラフト外で入団した際の背番号は「71」だった。プロ2年目から背番号が「24」に変わり、アメリカの野球留学で経験を重ねた。

 プロ5年目の1985年には40本塁打をマーク。長距離砲として台頭し注目を集める。1986年も41本塁打と結果を出し、日本シリーズでは第8戦に同点弾を放つと、ホームインの際にバック宙を決め身体能力の高さをアピールした。

 1987年からは背番号1を背負い、43本塁打で初の本塁打王を獲得すると同時に、ゴールデングラブ賞も受賞。走攻守三拍子揃った外野手として地位を確立した。3番・秋山、4番・清原の「AK砲」は西武黄金時代の象徴でもあった。


松井稼頭央(背番号32→背番号7)


 PL学園時代は投手だった松井稼頭央だが、その高い身体能力を生かすためプロ入りと同時に内野手へ転向。プロ2年目の1995年に21盗塁とその才能の片鱗を見せる。

 1996年には「2番・ショート」で開幕スタメンを果たすと、ショートのレギュラーとして全試合に出場。盗塁王となった村松有人(ダイエー)に次ぐ50盗塁をマークする。オフの日米野球では故障のため離脱した田中幸雄(日本ハム)に代わり全日本チームに合流すると、自慢の俊足で活躍しMLB側から「リトル松井」として一躍注目を集めた。

 1997年から背番号7に変わり、オールスターゲーム第1戦ではオールスター記録となる1試合4盗塁と大暴れ。シーズンでも62盗塁と初めて盗塁王を獲得し、3年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。

 次第に長打力も身につけ2002年には打率.332、36本塁打、33盗塁でトリプルスリーを達成する。MLBを経て、楽天で現役としてプレーを続けている。

中島裕之(背番号56→背番号3)


 中島裕之は伊丹北から2000年ドラフト5位で入団。松井同様にプロ入りと同時に投手から内野手へコンバートされた。2年目まで2軍で経験を積み、3年目の2003年には1軍で44試合と出場機会を増やした。この年のオフに松井がメッツへFA移籍することが決まり、その後釜のショートとして中島が抜擢される。さらに背番号も「3」に変更となる。

 2004年には開幕戦に「7番・ショート」でスタメン出場。その思い切りのいい打撃でレギュラーの座を守り抜き、終わってみれば打率.287、27本塁打、90打点と予想以上の結果を残し、12年ぶりの日本一に大きく貢献する。

 その後は2006年から主に3番打者とチームの主軸を担い、リーグを代表するショートにまで成長を遂げた。2012年オフにはFAでアスレチックスへ移籍し、2015年からはオリックスでプレーしている。

 浅村の背番号変更によって、西武にとっては5年ぶりに背番号3が復活する。


文=武山智史(たけやま・さとし)

記事タグ
この記事が気に入ったら
お願いします
本誌情報
おすすめ特集
週刊野球太郎会員の方はコチラ
ドコモ・ソフトバンク
ご利用の方
KDDI・auスマートパス
ご利用の方