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【愛すべき助っ人列伝】盗塁王&通訳のバルボンに最近ではヘルマン。異国の地で激走した韋駄天たち

【愛すべき助っ人列伝】盗塁王&通訳のバルボンに最近ではヘルマン。異国の地で激走した韋駄天たち

 プロ野球の歴史を彩る助っ人外国人選手を紹介する列伝企画。第4回は大砲助っ人重視の日本では異色の「俊足助っ人」にスポットライトを当てたい。

慰謝料、養育費の請求書が球団に届く


 日系人以外の“助っ人らしい助っ人”として初めて盗塁王を獲得したのはラリー・レインズ(阪急)。1953年に23歳で来日し、1年目から61盗塁で盗塁王、2年目には打率.337で首位打者を獲得した。1年目のシーズン16三塁打は今もパ・リーグの歴代トップの記録だ。

 レインズは来日前年まではニグロリーグでプレーしていた黒人選手で、ズバ抜けた身体能力の持ち主だった。現在では人種差別的な表現として問題になりそうたが、当時は「黒い稲妻」「黒いハヤブサ」と呼ばれ、その衝撃度は高かった。その後はアメリカに戻り、1957年にはメジャーに昇格。インディアンスで103試合に出場した。

 ただ、このレインズ、晩節を汚してしまったことでも有名。1962年に阪急に復帰したのだが、5年前に妻と離婚しており、慰謝料・養育費の支払いから逃げるように来日していたのだった。もちろん逃げ切れず、球団に請求書が届いて問題が発覚。代理人からの復帰の売り込みも「自作自演」だったと言われている。2度目の来日ではお騒がせ男に大変身した。

日本に定住したバルボン


 俊足の助っ人を語る上で外せないのはロベルト・バルボン。1955年から1964年に阪急、1965年に近鉄でプレーし、盗塁王3回。助っ人歴代1位の通算308盗塁を記録している。

 来日前年はマイナーリーグでプレーしており、日本にも3年間出稼ぎのつもりでやってきたのだが、祖国・キューバで革命が勃発。一旦帰国すれば、2度と日本やアメリカには出国できない状況となり、腹を括って日本定住を決めた。

 日本語もペラペラになり、引退後は通訳に。ヒーローインタビューで外国人選手が長々と話しても「あー、嬉しい言うとりますわ」と一言で済ます「バルボン流通訳」はパ・リーグのオールドファンの間では語り草となっている。


盗塁数3位に名を連ねるのはヘルマン


 バルボン、広島・平山智(ハワイ出身の日系アメリカ人、通算160盗塁)に次ぐ助っ人3位の128盗塁を記録しているのはエステバン・ヘルマン。西武、オリックスで4年間プレーし、果敢なヘッドスライディングでファンを沸かせた。西武時代の2012年には41盗塁、翌年も40盗塁。巡り合わせ次第では盗塁王もあり得る数字だった。

 慎重に四球を選べる選手で2013年には出塁率.418で最高出塁率のタイトルを獲得した。もともとアメリカではリッキー・ヘンダーソン(MLB最高の通算1406盗塁)の後釜と目され、「リトル・リッキー」とも呼ばれていた男。明確に俊足巧打タイプの選手で、今思えば面白いスカウティングだった。


 4位は先述のレインズ(阪急、114盗塁)、5位は来日当初は細身で俊足だったタフィ・ローズ(近鉄ほか、87盗塁)、6位はバーニー・ウィリアムス(阪急、77盗塁)が続く。

 また盗塁の数字だけに限らず、俊足の助っ人は記憶に残る選手が多い。ドゥエイン・ホージー(ヤクルト)のグリップエンド秘打、李鍾範(中日)のヘッドスライディングなど、語り継ぐべき名シーンも山ほどある。

 日本で結果こそ残せなかったが、昨年ロッテに在籍した“走り打ち”のロエル・サントスも語り草になるのではないだろうか。

 魅力あふれる俊足助っ人たち。彼らはなんだかキャラが濃い。


文=落合初春(おちあい・もとはる)

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